TBSラジオMeet Up、メゾンキツネ共同経営者、黒木理也さんの話し2

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こんばんは!

いつも応援していただき、ありがとうございます。

apa(あぱ)です(^^)

今日は『【TBSラジオMeet Up、メゾンキツネ共同経営者、黒木理也さんの話し2』について書いていきます。

 

TBSラジオMeet Up、メゾンキツネ共同経営者、黒木理也さんの話し2

今週も前回の続き、メゾンキツネ共同経営者、黒木理也さんの話について書いていきます。

 

前回の内容はこちら。

 

【楽しむをモットーに】TBSラジオMeet Up、メゾンキツネ共同経営者、黒木理也さんの話し
こんばんは! いつも応援していただき、ありがとうございます。 apa(あぱ)です(^^) 今日は『TBSラジオMeet Up、メゾンキツネ共同経営者、黒木理也さんの話し』について書いていきます。 ...

 

生い立ち

今週の話は、黒木理也さんの生い立ちがメインの話しでした。

というわけで、黒木理也さんの生い立ちの話を書いていきます。

 

生まれ育ちとパリへの移住

子供の頃は、山と国道しかないような場所で生まれ育ったそうです。

 

その後、親が東京のベッドタウンに引っ越して、それに伴い、東京ぐらし。

 

でも、その後も仕事のあるところに点々と移動していたそうです。

 

そのため、友達もほとんどできず、子供の頃はレブ遊びに熱中していたそうです。

 

その後、小学6年生の頃にパリに渡ったそうです。

 

当時のパリは移民が街を盛り上げていました。

 

移民を受け入れられない文化もあり、当時は息苦しい生活を強いられていたようですが、それでも、オープンマインドのお母様から救われていたそうです。

 

「生き方にルールはない」

をモットーに教育してくれました。

 

黒木理也さん自身は、学校のテストであまりいい点数を取らず、

むしろ、テストに迷路を書いたりしてふざけていたのですが、そのテスト用紙を家の冷蔵庫に飾ってくれたのが母親。

 

また、絵の発表会があって、黒木理也さんの作品が選ばれなくても怒ることなく、

「これ、いいじゃない。」

と、褒めてくれる素敵な方だったそうです。

 

音楽に救われた

何をしていいかわからないパリにおいて、黒木理也さんは、団地で移民として育ちました。

 

毎日が激しい。

 

匂いもすごいし、音もすごいし、s合図もでかい。

 

どうやって生きて行くのか、悩んでいたそうです。

 

母親と「毎日を楽しもう」と言い合って、生きていたとのこと。

 

辛さとの戦いの毎日でしたが、音楽に助けられたそうです。

 

パリで音楽に触れる。

 

レコード屋さんでターンテーブルで音楽を聞いて、店の人とも触れ合った。

 

まるで図書館のようにレコード屋さんに通っていたとのこと。

当時は、人種差別があったパリですが、音楽を聞いているうちは、救われていたそうです。

 

中でもヒップホップ。

何を行っているかわからないけど、エナジーと音とリズム感に圧倒されていたそうです。

 

ニューヨーク

その後、18歳で、黒木理也さんはニューヨークに渡ったそうです。

 

当時、パリが大嫌いだったものの、救われていた音楽。

 

アーティストのジャケットを見ると必ず、

NY

の文字。

 

どこ?

と、友だちに聞いて、

「自由の女神があるところだよ。」

と教えてもらったそうです。

 

そして18歳になって、貯金を持って、ニューヨークへ。

 

嬉しくてただただ舞い上がったそうです。

 

興奮。

 

もう、上がるだけ。

 

検索していたものとぜんぜん違う。

想像を遥かに超えたそうです。

 

前に進めさせてくれた。

 

最初は学生だと嘘をついて泊まれるところに泊まっていたけど、嘘がバレて、貯金が尽きたとき、公園で寝て、仕事を探して、しのいだそうです。

 

メゾンキツネ創業

その後、建築を学んで、朝から模型作り。

奴隷のような毎日を過ごしていたそうです。

 

レコード屋も初めて、アーティストのマネジメントやクラブでのイベントもやっていたそうです。

 

今の仕事が好きにはなれない。

 

なにかやろうか・・・

 

と、今の共同経営者のマチルダさんと話している中で、日本の文化に注目。

 

一つの傘の中にマルチブランドがある。

 

一つの会社がカフェをやったり、ファッションをやったり、様々な事業を展開する。

 

パリではそれが珍しく、黒木理也はそれを知って、

 

「いろんな物をまとめることにチャレンジしよう。」

 

と、思い立ったそうです。

 

音楽やファッション、建築など、

共同経営者であるマチルダさんと、何を持ち上げるというのをはっきりしないままにやってきた。

 

アイデア先行でビジネスを進めてきたそうです。

 

プランも何もなくスタートしたけど、そのぎこちなさがフォローされたそうです。

 

最初はファッションではなくて、店舗をはじめて、

Tシャツを作って、どこかのクラブでDJをして、

「見に来てね」

と告知。

 

そうしてネットワークを作ることで、分厚いタウンページができた状態になっていたそうです。

 

シャツやデニムなどを売るファッションブランドとして、店舗で商品をしたそうです。

 

レーベルもそこで立ち上げたそうです。

 

共同経営者のマチルダさんと相性がいい理由

共同経営者のマチルダさんと相性がいい理由について質問されて、

 

「働くことが好きという共通点がある」

 

ことを語っていました。

 

そういう人は多くない。

 

少数派。

でも、二人は働くことが好き。

 

アイデアを出してシェアできるのが嬉しい。

 

世界中どこを見ても、自分たちのファッションを見かけるのが嬉しい。

それが楽しみ。

 

という共通点がある。

 

そうした、共通点の多さが、相性よく続けられる一番の理由のようです。

 

辛いときの乗り越え方

話の中では、順風満帆なように聞こえましたが、

そのウラで、黒木理也さんは相当な苦労もしてきたそうです。

数え切れないくらい。

 

そういうときの乗り越え方としては、

 

「自分がどこから来たのか、どこにいきたいのかを忘れれない。」

そう言い聞かせることで、今を生きることができて、責任感が生まれて乗り越えてきたそうです。

 

話のまとめ

2週に渡って、黒木理也さんの話を聞いてきました。

 

うーん、どうですかね?

 

僕の文章力のなさで、2週の話しの魅力は伝えられていなかったように思えます。

 

気になる方は、Spotifyで聴いてみてくてください。

 

 

ラジコでも聴けます。

 

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個人的には、正直、あまり得るものが多くなかったような気もしてしまいます。

 

が、とにかく、小さい頃の苦悩を乗り越えて、今、それだけ大きなブランドを築き上げたというその手腕はすごいですね。

 

僕自身、メゾンキツネというブランドについては全く知らないので、現状はわからないものの・・・

 

子供の頃の苦労や苦悩を乗り越えて、それだけの会社を、ブランドを築き上げるというのは、並大抵の苦労ではなかったと思います。

 

ただ、音楽に救われたというのは、やっぱりすごいなと思います。

 

自分も、ジャズは好きですが、

「音楽に救われた」

という体験は、今までそんなになかったような気もします。

 

全然話がそれてしまいますが、

 

「音楽に救われた」

 

という人が結構多くいますが、実際その感覚ってどうなんですかね?

自分にはまだわかりません・・・

 

でも、アメリカ人などは本当に音楽が生活に根付いているという感じですよね。

日本とは文化が違うんでしょうね。

 

今回の黒木理也さんの話を聞いて、一番心が動いたのは、

 

「あー、いつか自分もニューヨークに行ってみたい。」

 

ということでした。

 

世界を見るというのはすごく大事なことですよね。

 

体験で心を豊かにする。

 

そういうことをいつか自由にできる、時間と経済力を手に入れたいと感じました。

 

 

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