【骨になった父】父の死と葬儀を終えて感じたこと5。後悔のないように向き合わないと

父の死

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こんばんは!

いつも応援していただき、ありがとうございます。

apa(あぱ)です(^^)

今日は『父の死と葬儀を終えて感じたこと5』について書いていきます。

父の死と葬儀を終えて感じたこと5

今日はいつもと違って申し訳ないのですが、父の死と葬儀を終えて感じたことについて書いていきます。

昨日は、父の葬儀がありました。

この一週間、あっという間に過ぎていったのですが、やはり、昨日の葬儀は色々と大変でした。

先日も書いたのですが、ただ、参加するだけのときは、楽で、ただ故人の死を偲べばいいだけだったのですが、今度は自分が、(裏で)主催をする立場になると、とにかく大変だと感じました。

ただそうして、自分でいろいろと調整をシて、大変な思いをシてみて感じたことや、思ったことなどが色々とあります。

そういうのをまとめてみたいと思います。

全然アフィリエイトやビジネスとは関係ない話で申し訳ありません。でも、そんなに長く取り扱うシリーズというわけでもないので、我慢してお付き合いいただけると幸いです。

人はいつか死ぬ

人はいつか死ぬ。

それはもちろん、これまでもずっと聞かされてきたことで。

頭ではわかっていたこと。

だったのですが、

でも、それはあくまでも、言葉でわかっていたことで、人から伝え聞かされていただけで、本質的に理解できていたわけではありません。

もちろん、これまでも、色んな人の葬式、葬儀は見てきましたけど、でも、それはあくまでも「他人様の葬儀」です。直接関係のある親族の死ではありませんでした。

今回、直接の父の死を受けて、あらためてそのことを言葉以上に痛感したような気がします。言葉ではいくらわかっていても、「痛感」できるのは、本当に父の死など、近親者がなくなったときにわかるものなんだと感じます。

わかってるけど受け入れられないものだな

わかってるけど、受け入れられないものだなと感じます。

わかっているけれど、受け入れることは簡単なことではないと感じます。

受け入れるというのは時間がかかるものです。

受け入れるというのは用意なことではないです。

今までだって会える回数は少なかったけど

今までだって、父と会える回数は少なかったです。

父と、子供の頃過ごせたことは、回数が少なかったです。

ほとんど、一緒に子供の頃に過ごした記憶なんてありません。

会える回数はとても少なかったです。

これまでも。

だけど、

もう会えないと思うとやっぱり悲しい

もう会えないと思うと、やっぱり悲しいものです。

今までは、会う回数は少なかったけど、

会おうと思ったら会うことはできた。

だけど、もう。

それが叶うことはない。

今までテレビで見ていた、有名人の死去は。

悲しくはあったけど、もともとあったことのない人たちで、

仮にまだなくなっていなかったとしても、その後もその人達と合う機会はなかったと思います。

しかし、父は、会おうと思えればあうことができたし、今後だってその回数を増やすことができるはず。でした。

だけど、もうそれはかないません。

何があってももう、父と会うことはかないません。

やっぱりもう、会えないと思うと、とても悲しいものです。

さんざんわがまま

父はコレまでも、さんざんわがままを言ってきました。

自由奔放に生きてきました。

もちろん、実際には色々な悩みを抱えていたのかもしれません。

だけど、ずっと、周りの人に、特に母に好き放題言って過ごしてきました。

さんざんわがままを言って、家族にも、迷惑をかけて生きてきました。

果たしてそれがどう思っていたのか、感謝をシていたのか、すらわからないけれど。

もう少し生きたかったのではないか?とは思う

もう少し生きたかったんじゃないか?とは思います。

というか、死にたいと思う人は基本、そういないでしょう。

だけど、もう少し生きたかったのではないかと思います。

別に、後何年生きたいとか、何十年も生きたいと思っていたわけではないと思うのですが、だけど、生きたかったのではないかと思います。

だけど、同時に。もうやりたいことはすべてやったんじゃないか?とは思う

もうやりたいことはやったんじゃないか?とも思います。

会社を立ち上げて、あれだけ大きくして、子どもも知る限りでは3人。

孫もひ孫もいて、十分幸せなんじゃないかと思います。

もうやりたいことはすべてやりつくしたんじゃないかと思います。

それはもう、知るすべはないんですけど。

どうなのかな。

自分は、本当にそう思える人生を過ごせるか?

自分は本当にそんなふうに、そう思える人生。

「もうやり残したことはない。」

と思える人生を過ごせるか、そうして人生を終えることができるのか。

疑問でしかありません。

いまはもう、できることを一生懸命、やっていくしかないですね。

連休中に伊勢には来るべきではない。まつりがあるときは特に

どうでもいい話しですが、とにかく、

連休中、しかも1年に一度の祭り?

ということもあってか、とにかく道中が混んでいました。

車がわんさかして、とにかく大変でした。

2回ほど、あまりよくない状態になりそうでした。

とにかく人も多いし、車も多いし、こんな中で、来ても何も楽しくないよなー。なんて感じます。

だったら、平日の人がいない中で見に来る方がいいと思いました。

まぁ、そんなの誰もがわかっていることだと思うんですけどね。

仕方なくその連休中に行くしかないから言っているんだと思うんですけど、だけど、とにかく連休中の人の多さは、きついなと感じます。

伊勢に来るなら、連休をずらしてくるのがおすすめです。

当たり前?

全然車も進まない。

全く違う様相になります。

骨になった父を見て、流石に悲しかった

いろいろあって、葬儀も滞りなく終わって。

最後、火葬場を通過して、父は骨になりました。

骨になった父。

これまでも、たくさん、色んな人の葬式でお骨を見てきましたけど、やはり父のそのお骨をみるというのは、とても真鍮穏やかではいられないものですね。

今までの肉体を支える役目を終えた骨を見て、

なんだか込み上がるものがありました。

まだ受け入れるまで時間がかかりそうですが、とにかくお疲れ様でしたとは言いたい。

文字数が余ったので

で、文字数が余ったので、あとは思いつくままに書いていきます。

父は最後、伊勢というまちで生涯を終えることができてよかったのでしょうか。

あれだけ大きくした会社、なんだったら、自分の人生の大半を過ごした、東京の府中で生涯を終えなくて本当に良かったのか?

疑問に思います。

まぁ、生まれたまちで生涯を終えることができて、良かったのかどうかはわかりませんが。

だけど。

結局本人がどう感じていたのかはわからないものです。

そしてそれは、永遠にわからないままです。

自分が死ぬときはどうなるんだろうr。

どうなってしまうんだろう。

まだ自分自身想像がつきません。

だけど、きちんと後悔のないように生きていかないとならないなと思います。

まだまだやることがたくさんある。

まだまだやらないとならない。

それを考えると、木を抜けない、むしろここ数日全然作業をできていなかったことを考えると、焦りが出るばかりなんですけど、それでもやっていかないなと感じます。

父の死。

あまり向き合いたくないものかもしれませんが、遅かれ早かれ来るものです。

目を背けないで向き合って後悔のないようにやっていかないとならないと感じます。

まぁ、できるだけ目を背けないで、向き合っていかないとならない。じゃないと後悔が拭えないなと感じました。

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