【父の死で学んだこと、感じたこと4】やれるだけやってみなさい

父の死

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こんばんは!

いつも応援していただき、ありがとうございます。

apa(あぱ)です(^^)

今日は『父の死で学んだこと、感じたこと4』について書いていきます。

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今回は、父の死で学んだこと、感じたことの4回目を書いていきます。

流石にこのシリーズは引っ張りすぎなので、今回くらいが最後かとは思っているのですが、いかんせん、バタバタしていて集中して作業に望めないというのがなかなかの問題点です。

昨日も、カフェでかろうじて作業をシたものの、それでも本格的に取り組むことはなかなかできませんでした。

今回は可能な限り取り組んだことも交えて書こうと思ったのですが、とりあえず、といえばいいのか。

父の死で学んだこと、感じたことを再度まとめてみたいと思います。

やれるだけやってみなさい

父の会社をやめる最終日。

そこに至るまでかなりの大騒動がありました。そりゃあ、創業者の息子が、三男とはいえ、それが会社をやめようというのだから、一悶着も蓋悶着もあるのは当然のことと言えば、当然のことですね。

でも、とにかく、数日、数週間、あるいは数ヶ月くらい。

もめにもめて、会社の最終日になりました。

いよいよ、会社を去るという時。

会社を出て、帰路につく前に。

あれだけ傍若無人に振る舞って、あれだけ文句たらたらだった父が、最後、僕に向けて、

「まぁ、やれるだけやってみなさい。」

といってくれました。

それがどういう意味だったのか。

今になってはきっと、本人だって覚えていないでしょうし、他の誰も覚えていない。たぶん、世界中で僕だけが持つ記憶です。

だけど、父がその時に言ってくれた言葉は僕の脳裏にずっと強く残り続けています。

「まぁ、やれるだけやってみて、(どうせダメだとは思うけど。)ダメだったら戻ってきなさい。」

といったのか。

それとも、会社の別の人間から、

「気持ちよく送り出してあげたほうがいいですよ。」

といわれて、しかたなく、

「まぁ、やれるだけやってみなさい。」

と言ってくれたのか。

真意は永遠に闇の中。

なんですけど。

その言葉は、嬉しかったです。

僕の中での父へのわだかまりが少し溶けた出来事の一つでした。まぁ、結局その後も何やかや揉めたんですけど。

だけど、とにかく。

あの言葉は嬉しかった。

スガシカオのthe lastというアルバムの1曲目「ふるえる手」の歌詞と全く同じシチュエーションになり。

ずっとその言葉が頭の中に残っていました。

別に学んだことでも、感じたことでもないんですけど。

ふとそのことが思い起こされました。

わだかまりは多かったけど、親子間。

ですが、そういうなんていうか、良い思い出だってたまにはあるものだよね。

感情を決めているのは自分自身

結局、事実に対して感情を決めているのは自分自身でしかない。

コレって昨日も書いたっけ?

連日ですみません。もしそうだとしたら。

あくまでも感情を決めているのは自分自身で。

その事実に対して、だからこそ自分でコントロールをシないとならなかった。

父が怒る。

怒れる父。

機嫌が悪い父。

そんな父に対して。

僕は諦めていたから、「怒り返す」ということはほとんどなかったものの。

それでも。

諦めていただけで、「許す」ということはできなかった。

怒っている父。

機嫌が悪い父。

という事実に対して、僕はちゃんと、自分の感情をコントロールするべきだったと、今は深く反省しています。

しかしもちろん、それがもう叶うことは二度とありません。

コレより悲しいことってあるのかな。

もう、どれだけ後悔しても、相手がいないから取り返すことができない。

そういう後悔よりも、悲しいことってあるのかな?と感じたりシてしまいます。

父との喧嘩

まだ会社に努めていた時。

親父の会社に務めていた時。

足の悪い父が階段を降りるときに、父の腰を、体を支えないとならない。

だけど、手が滑ったのかなんなのか、父を支えきれず、父は階段に尻餅をついてしまった。

「大丈夫ですか?」

ともちろん、心配はしたけれど、それよりも。

痛みよりも不機嫌が勝ったみたいで、僕に対して怒りをぶつけてきました。

「どうしてお前はこんなことすらできないんだ!」

「どうしてお前は何もしてくれないんだ!」

「それが親に対する仕打ちなのか?!」

と怒りを浴びせかけてきました。

最初はすぐに収まるかと思いましたが、しばらく時間が経っても怒りが収まる気配がない。

なのでつい、こちらも頭にきてしまって、

「お父さんだって何もしてくれなかったじゃないですか!僕に対して!僕が困っていても泣いていても辛くても全然助けてくれなかったじゃないですか!(離婚して言えにいなかったので)」

と、言い換えしてしまいました。

父はそれに対して、

「俺なんか子供の頃から親はいなかったよ!まだいるだけ、金を送ってもらえるだけありがたく思え!」

と言われました。

そこで異常に気づいた別の社員が来て、仲裁をシてくれました。

売り言葉に買い言葉だったけど、

今は、結果的には言うとおりだったなと思います。

いてくれるだけで。

それに変わる喜びなんてない。

感謝なんてない。

いなくなったいま。

そのことを強く痛感します。

よくペットは、「生きていることが仕事」といいます。

僕は、「じゃあなんで人間は生きているだけではダメなんだ?」と考えたりするのですが。

だけどそれは、「親」に対しても同じことが言えるのかもしれません。

何もしてくれない親。

息子を罵倒する親。

喧嘩ばかりの親。

もちろん、気持ちの良いものではないけれど、それだって、親が生きてくれているからこそできること。

生きているだけで丸儲け。

なんてことは言うつもりはないけれど、

生きてくれているからこそできること。

生きてくれているからこそ言えること。

そういうのがあるわけで。

何をシてくれないから怒る。

何をシてくれないから尊敬できない。

軽蔑する。

気持ちもわからなくないけれど、だけど、それは、父が生きているからこそできることで。

死んでしまったら喧嘩もできない。

文句も言えない。

もちろん、感謝も、一緒に笑うことも、楽しむこともできない。

そんな当たり前のことに。

どうして気づけなかったのか。

いなくなった今。強くそのことを痛感します。

本当に、今はただ、悲しいばかりです。

少し文字数が余ったので

このブログは、ご存じの方はご存知のように、1日3000文字書くことを自分に義務付けています。

そのために、事前に台本を作っているのですが、その台本通りに文章を作っても、まだ文字数が3000文字に至らなかったので、そのまま書きます。

父がなくなって今に至るまで、忙しさに忙殺されています。

人がなくなってからの手続きはあまりにも多いものですね。

市役所行ったり、病院に行ったり、あれこれ手続きをシたり。

こんなに大変だとは思っていませんでした。なかなか骨が折れます。

まぁ、忙しすぎて、父の死を悲しんでいる時間がなくなっていると言えますが、ただその忙しさがアフィリエイトのこととかであればいいのですが、どうしても、アフィリエイトのことじゃない。直接的に収益に結びつくことではないので不安が残ります。

でもまぁ、これも致し方ないのかもしれません。

ちょっとだけ愚痴をいうと、どうして、一番下、三男の僕が全部葬儀の相談とか打ち合わせとかその他諸々を色々とやり取りしないとならないのか。どうして僕だけなのか?がよくわからなくてちょっと気になりますけど。

もう言っても仕方ないですね。

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