【父の死に際して学んだ大切なことの一つ】自分の不足と後悔と悲しみ、父の思いと自分のなすべきこと。許せなかった自分への憤りと激しい後悔

父の死

ブログランキング・にほんブログ村へ

このエントリーをはてなブックマークに追加

こんばんは!

いつも応援していただき、ありがとうございます。

apa(あぱ)です(^^)

今日は『日曜フリーテーマ』について書いていきます。

※ この米印の文章はすべての文章を書き終えた後に書いている補足です。

今回の文章は最初、日曜フリーテーマといういつものテンプレから始まり、僕の父が死んだことから感じたこと、今思っていることを率直に書いています。

「亡くなる」「天に召された」「天国に行った」「天寿を全うした」「大往生」などと言葉を濁さず、オブラートに包まず、そのまま「死」という言葉を使っています。

人によっては、かなりお見苦しい文章、ご気分を害するかもしれません。

もし気になる方は、ここで読むを止めてください。

かなり辛辣な言葉?ストレートな表現を使っています。自分の感情をあえてそのままストレートに文章にするためです。ご容赦ください。

日曜フリーテーマ

今日は日曜フリーテーマについて書いていきます。

今日は特別編。

自分の好き勝手に書かせてください。いつも以上に夜見苦しいかもしれないのですが、ご容赦ください。

いつものこのブログは、毎朝執筆して、18時に自動投稿されるように予約しています。

今日はその時間がありませんでしたので、19時30分。

ちょくで書いています。

誰も読んでいないかもしれませんが。

父の死に際して思うこと

昨日、令和8年10月3日。

僕の父が息を引き取りました。20時すぎ。

10月1日に母を介して父と電話して、

あまりにも弱々しい声だったので、不安になり、

翌日の10月2日金曜日に伊勢に向かいました。

だけど、10月2日についた時点では、父あっても、僕のことをまともに認識することができず、ほとんど、会話らしい会話はできませんでした。

その翌日である、10月3日土曜日の20時頃。

僕がちょっと席を外している間に、息を引き取ったようです。

死に目には会えませんでした。

タッチの差で。

買い物をしているわずか5分くらいのタイムロスで死に目に会えませんでした。

そのことは、後悔はありません。

ないといったら、嘘になるのですが、

ある程度、受け入れています。

その、父の死に際して、今、思うことをいくつか列挙したいと思います。

事実と真実は違う

事実と真実は、違うなと感じます。

正直な話。

誰だって、肉親には死んでほしくはないでしょう。

もちろん、僕だって。

だけど、このブログのプロフィールを見てもらえればわかるように、父の会社で父トラブルが起きて、会社をやめました。

その後も、僕に対して、そして母に対して怒り狂う父の姿を見ていて、どこかずっと恐怖を抱えていました。

だから、心の何処かで、

「お父さんが死んでも、そんなに悲しくないだろうな。」

と思っていました。

だけど。

知り合いや友人。

育ての親、なんだったら極論、恋人だって増やすことはできるけれど、肉親はどんなに天地がひっくり返ったってたった2人です。

悲しくないわけはないですね。

事実は、父の死というひとつ。

僕はずっとそれに対して、

「悲しまないんじゃないか。」

と心の何処かで思っていたのですが、

真実は、言葉にできない喪失感でいっぱいです。

今この文章を、眼の前に父が座っていた椅子で書いているんですけど、コレを書いているだけでも涙が溢れてきます。悲しみと後悔。

事実は父の死。

だけど、真実は、自分への憤り、後悔、悲しみ、喪失感、空虚、孤独感です。

後悔と自分の考えの浅さ

父はずっと、怖かったです。

子供の頃まではかわいがってくれたのに、大きくなるにつれて可愛くなくなったのか、怒ることが多くなりました。

仕事で会社に入ってからも同じ。

やたらと怒られていました。

怒られた記憶のほうが多いです。

そして、会社を引退して、実家である伊勢に帰ってからも怖かったです。

実家に帰ってからは父も丸くなったのかな?

と思って、こちらが心を開くと、あっちは急に怒り出してくる。

だから基本、僕は心を閉ざすしかできませんでした。

それが正しいことだと思っていました。

そして僕は、それでいいんだ、と。

それしかないんだ、とどこか達観していました。

どこかわかりきったつもりでいました。

しかし、今になって思うのは、

怒られても、心変わりして、怒りだしてきても。

隙をついて攻めてくるようでも、それを許せる度量を持つべきだったと後悔をしています。

それが、父の「生きがい」なんだから。

その機会を、奪う必要はなかった。

そのことに考えが至らなかった。

僕はやっぱり、まだまだ足りない。

死んでからそれに気づくなんて。

いいじゃないか。

心変わりしても。

いいじゃないか。

隙を見せたら、怒ってきても。

いいじゃないか。

心を許した途端に怒り出してきても。

いいじゃないか。

「お風呂入ってきなー。」

と言われて、少し気を許して、少しゆっくり入って(といってもそれほど遅くはない)、お風呂からでたら、

「でましたー。」

と、報告したら、

「お、出たか。どうだった?いい湯だったか?」

とか、

「ありがとー。」

とか言ってくるかな?と期待していたら、

「早く出なさい。」

と冷たく怒ってきても。

そういう人なんだと思えば。

死ぬわけでもないんだから。

殺されるわけでもないんだから。

揺さぶられるのが、身体じゃなくて、

心だけなら。好きなようにさせて。

許してあげればいいじゃないか。

どうしてそれができなかったのか。

どうしてその考えに至れなかったのか。

それだけが気がかりです。

隙をついたら、怒り出してくる。

心を開いたら、裏切られる。

そう思っていたからずっと僕はお父さんに心開きすぎないようにしていました。

再会してすぐは、

「来てくれたんだ!嬉しいなー。」

と喜ぶ父も。

しばらくしたら、慣れてきて、

「いつ帰るんだ。」

と、怒り出してくる父。

いいじゃないか。

そんな、180度心変わりする父でも。

こちらが許してあげれば。

どうして、

隙をついたら怒り出してくる父に。

どうして、

こちらが心を開いたら怒り出してくる父に、

「感情を隠す。」

「心を閉ざす。」

という選択しかできなかったのか。

それが最善としか考えることができなかったのか。

それだけが悔やまれる。

どうして、そのさきに。

隙をついたら、心を開いたら怒り出してくるという父に対して、

「それでも許す。それでも、向き合う。」

という選択ができなかったのか。

後悔が止まりません。

たぶん。

テレビでもラジオでも他人からでもいい。

もしかしたら、それを誰かから聞かされていたらその事に気づけていたかもしれない。

あるいは、「それでも俺の父さんは違うんだよ。」とやっぱり、変わらなかったかもしれない。

だけど、もしかしたら。

ほんのちょっとの可能性でも、

「事前に知っていたらなにか違ったかもしれない。」

そう、思いついた考えから、このことをこの文章にしました。

自分はまだまだで、精神的にも幼いと感じました。

自分を譲ることができないなんて。

メモ魔の血は引き継がれているのかも

そんなんだから。

ぼくは父の顔をまともに見たことはありませんでした。

少なくともここ最近は。

いつも見たとしても、撮影したカメラの写真。

画面越しに見るのが父の顔でした。

眼の前に座っていても、一緒に食事をしていても、

僕はわざと目をそらして、父と目を合わせようとしませんでした。

また心を開いたら、やられる。

と思っていたから。

どうしても心を固く閉ざして開くことができませんでした。

「父が変わらないとこちらからは変われない。」

なんて偉そうなことを考えていました。

バカ。

だから。

父の一挙手一投足にほとんど目を向けたことはありませんでした。

父の亡き後。

残された手帳や、今、この文章を書いている目の前の机の上に、父が手書きで書いたメモ帳がたくさん残されています。

2026年と書かれたメモ帳には横書きでびっしり毎日文字が書き込まれている。

一番最後の日付のメモ。

2026年9月7日には、不倫相手の名前と心配するような文章も書いてあった。

相変わらずだなと思ったけれど。

とにかく。

メモ帳に毎日びっしり隙間なく書かれた、ミミズ文字を見て、涙が溢れてきます。

毎日自分がその時々に考えていること、感じたこと。

たぶん。

母からは、

「口達者」

他に人にもそう言われている父ですが、本当は、本音を口にするのが苦手だったのかもしれません。

だから。

言葉にできない思いを文章でメモ帳や手帳にびっしり書き込んでいたのかもしれません。

目の前にあるメモ帳には1年前。

10/21(金)晴れ

・・・

毎日を楽しく行きたいと思う

悩む苦しむはもう終わりしている もう少ない壬氏

楽しく行きたいと思う 体調が弱って

運動不足でとても歩みない 運動をシてみよう

運動して体力づくりしないと どこえも行けない

AM1000

年度は書いていないけれど、上の方に10月21日(金)と書かれています。

この文章を僕が書いている、今は、2026年10月4日。

いま父は、いないので。

最低でも1年前に書いたものと思われる。

年度や日付を勘違いしていない限りは。

まさか、そんな事を考えているなんて。知りませんでした。

読んだ文章はそれを含めて少枚数だけですが。

きっと同様の文章がいっぱい書かれているのでしょう。

僕は、全然、父のことを、わかっていませんでした。

きっといろいろ苦しんでいた。

悲しんでいた。悩んでいた。

きっと、なかなか心を開いてくれない僕に。

どう接すればいいかわからないから、怒るしかなかった。

怒ることでしか感情を表すことができなかった。

要するに、不器用だったんだと思います。

お互いに。

なんてバカだったんだろう。

僕は。

怒ることでしか、口では感情表現できないけれど。

きっと他にもメモ帳や手帳を見たら、色々書いてあるでしょうし、もしかしたら僕への思いや感情もあるのかもしれません。

今見たら、たぶん、精神が持ちませんね(笑)

気づけなかった、自分がもどかしい。

本来書こうとしていたこととズレてしまいました。

父がこうしてメモ魔だったのは、他人づてで聞いてはいましたが、まともに「向き合えた」のは今が初めてかもしれない。

それが、父が、いなくなった「今」になるなんて。

後悔しても、もう遅いですね。

だけど、そういう。

「メモ魔」の精神は、違った形で、僕に引き継がれているのかもしれません。

僕がこのブログを書き始めて、今、どれくらいだろう。

10年くらい?まださすがに10年はいっていないかな?

厳密にはこのブログの前身、アメブロで始めたときから含めるとゆうに10年は超えていると思いますが、一日も欠かさず毎日書き続けています。

少なくとも10年近く。

コレは決して僕の力なんかじゃなくて、

父から受け継いだ技術だったのかもしれません。

「俺には父にはない、継続力がある。」

なんて考えたことが心の隅にあったかもしれない。

だけど、それは、きちんと父から受け継いだものでした。

お父さんは手書きの文字を。

僕はパソコンの文字を。

形は違えど引き継がれているのかな、と思いました。

最後に

ここまで書いたのは、今日、

2026年10月4日の朝7時頃。

そのあとに、正式な死亡診断や、施設の対処手続き、葬儀の手続きなどがあったので、とりあえずこの、書くことの「台本」を書いた、

ああ、つまり今日の7時頃に書いた台本をもとにして書いてきた文章です。

で、現在に戻るわけです。

2026年10月4日20時27分。

もちろん、台本を書いたのは今朝で、

文章を書いているのはさっきからのこの30分くらい。

台本を抜け出して、今。

台本の外で書きます。

書いていてずっと涙が止まりませんでした。

本当に、

事実と真実は違う。

まだまだ自分は幼い。足りない。

父の思い、もどかしさ、感情、苦しみ悩みに気づけなかった、本当に自分の不足加減に反吐が出そうになります。

「でも後悔してもしかたない。今を一生懸命生きよう。」

などと、綺麗事を言えるほど、いまはまだ心の傷と喪失感は拭えていません。

しばらくはこの後悔の念と、喪失感と付き合っていかないんだろうなと思います。

ただ。

今はこの文章を書いている目の前に、「父」はいないけれど、「母」がいます。

今日一日の大量の手続きに忙殺されて、疲れ切ったようで、

「あ、8時だ。NHKつけて!」

と、言って、急いでつけた、大河ドラマを全く見ずにソファーの肘掛けに頬杖をついて寝入ってしまっている、母がいます。

まだ父を失った喪失感と後悔の念。自責の念は。

一切和らがないけれど、薄まらないけれど。

だけど、今はこの「母」にできることをしていかないと思います。

父と年齢も近い母。

同じ後悔をしないように。

今をしっかりと生きていきたいと思います。

毎日を一生懸命に生きないとならない。

悩む苦しむを終わりにするのはまだ早い。

どれだけ残っているかわからない残りの人生。

今を一生懸命生きたいと思う。

母を妻を、友を、仲間を。家族を。(忘れていた。もう一人。大切な妹。父の忘れ形見。父が晩年、最も大切にしていた猫のキララも。書き終えて、席を立って、無造作に眠るキララを見て、「私のこと忘れてないかしら?」と怒られた気がした。初めて見た、変な寝相だったので。)

愛する人達を幸せにできるように。そんな偉そうなことを言える立場ではないけれど、

自分にできることを精一杯やっていきたい。

ちゃんと結果を出して、もっと他の人に、幸せを、何かを与えられる人間になっていきたいと思います。

それが。

父の死に際して学んだ、大切なことの一つなのかもしれません。

お父さん、ありがとう。今まで。ゆっくり、休んでください。

コメント