こんばんは!
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apa(あぱ)です(^^)
今日は『いろいろな雑多』について書いていきます。
いろいろな雑多
今日もまた、いつもと違う特別編。
いろいろな雑多について書いていきます。
長くて濃い、だけどあっという間に時間がすぎる、濃縮な2週間の伊勢での帰省を終えて、
ようやく神奈川の自宅に帰ってきました。
今回は・・・
本当に色々あった。
喪主でもなんでもない三男の自分が、葬儀の取り運びを全部やって、
色んなところに打ち合わせや挨拶をして、
とにかく疲れました。
とにかく忙しかった。
とにかく大変な2週間でした。
父の死。
という大きな出来事を終えて、いまは神奈川の自宅にいます。
4年くらい前に、唯一無二の親友を失って、
心にぽっかり穴が空いて、
そのときに自分の心の半分を失ったような実感を覚えて。
そして、いま。
父というかけがえのない存在を失ってまた、心の中の何かを失ってしまったような喪失感に捉えられています。
しかし、肉親を失った悲しみに暮れている時間がないくらい、
この2週間、仕事が何もできていなかったので、とにかくやるべきことをやっていかないとならないなと感じます。
そうこうしているうちに、
誕生日
不思議なもので。
2週間前に父がなくなったと思えば、その2週間後の今日、僕は、41歳の誕生日を迎えています。
ソレは本当に不思議な話です。
父は、88歳の誕生日を迎えた翌月に旅立ち。
その2週間後に僕は誕生日を迎えている。
だけど、もう父の声を聞くことはできない。
「誕生日おめでとう。」
と声を聞くことはできない。
これまで毎年、母づてで訊いていた、
「誕生日おめでとう」
の声を、二度と聞くことはできない。
再生できるのは、記憶の中でだけ。
それは本当に、今思うととても悲しいことです。
もちろん、父は僕の誕生日なんて覚えてはいなかったと思いますが、
母にせっつかれて、僕に電話で誕生びおめでとうを伝えてくれていた。
だけどもう、その声を聞くことができない。
そう思うとやはり悲しい。
日常は今までと何も変わらないのに。
その日常の中に、父が入り込んでくることはもう、ありえない。
これまでは、仕事で忙しい中で父から電話がかかってきて、
正直疎ましく思うこともあったけど、
だけど、もうそれもない。
父から電話がかかってくることは、金輪際、ない。
それはとても悲しいことだと、今改めて思います。
日常の中に身を投じているとなおさら。
新幹線の悲しみ
父が旅立ってから2週間。
毎日、怒涛の忙しさに身を委ねていたこともあり、
父の死を偲んでいる時間はありませんでした。
毎日忙しくてそれどころではありませんでした。
せめて今できることは、母の支えになること。
母が日常生活の中で困っていることがあれば、いる間に助けてあげたい。
そう思って、できることをやっていたため、
仕事はそっちのけで忙しかったです。
だから、父の死を悲しんでいる時間は殆どありませんでした。
だけど、不思議なもので。
新幹線とか、近鉄とかの移動の時間中というのは悲しみが込み上げてくるものです。
たぶん、「移動時間」というある種何もできない。
何もしなくても目的、「目的日向かう」という目的を達成できることから、
考える時間、考える隙間が生まれてくるのかもしれませんね。
少し涙が出てきました。
震える手の歌詞
ずっと、この歌詞と、父と僕との関係を結びつけています。
このアルバムが好きで聞いていたんですけど、
中でもこの1曲目がとても印象的で。
僕も父の会社を去る際、最後の日に、
「やれるだけやってみなさい。」
と、父に言われたその言葉がずっと胸に残っていました。
子供の頃父に連れられたプールでも、
平泳ぎ、ではなかったもの、
他の家族がワイワイ楽しそうに遊んでいる中、
父は本気でクロール。
僕のことはそっちのけで一人でクロールに奔走していました。
僕に格好良い姿を見せようとしていた?
のかはわかりませんが、他の遊泳者たちがソレを見て、
笑っているようで、なんだか小っ恥ずかしくなっていました。
もう、そんな本気で泳ぐのはやめてよ。
と、心のなかでいっていました。
そうした、「震える手」の中の世界観と、自分の父の姿が重なり、
思い出深い一曲です。
ずっとこの曲を心のなかで大切にしていたんですけど、
ここ最近は悲しくなるのでずっと聞かずにいたのですが、伊勢から神奈川に帰る電車、新幹線の中で訊いて悲しくなりました。
もう父はいない。
録音した父の声は残っているけれど、
それが更新されることはない。
やっぱりこれは、悲しいことです。
何が何でも続けないとならないこと
父がなくなった翌日。
さすがにこの日課の文章を書くのがきつかったです。
いや、精神的にというよりも時間的に。
いや、まぁ、精神的な話もあったのかもしれないんですけど。
妻からは、
「今日くらい休んでいいんじゃない?」
と言われましたけど、遅れながらもなんとか書き上げました。
完全な自己満足です。
誰に褒められるわけでもないし、
書かなくたって誰に叱られるわけでもない。
完全な、自己満足の世界なんですけど、
これだけはなにがなんでも書かないとならないこと
だと思っています。
そういう、何があっても続けること。
続けないとならないこと。
を持っておくことは大切だと思います。
別に深い糸があるわけではないけれど。
こだわらないこと
伊勢の実家にいる間は、
忙しさに忙殺されていたこともあり、
テレビもラジオもほとんどつけませんでした。
ほとんど、というのは。
母がつけていたテレビだけはぼーっと皆がしていたから。
だけど、ソレ以外は、自分から能動的にそういうラジオやテレビに意識を向けることはありませんでした。
以前、先月まで神奈川の自宅にいるときには、
あのテレビを見たい、このテレビを見たい、といろいろとこだわりを持っていましたが。
そういうのをなくすと楽になります。
別に見なくてもいいし、べつにきかなくてもいい。
そう考えると気持ちがふっと楽になります。
でも、そういうのはとても大事なことなのかもしれません。
メディアにもこだわらない。
ものにもこだわらない。
いまの世の中あまりにも、誘惑が多すぎます。
そういうのに、心を奪われると大切な機会を失ってしまいます。
神奈川にいる今、いつまでソレが続くかはわからないですが、
そういう、何かに対するこだわりを捨てて、今ある物事に向き合っていきたいと感じます。
やっぱり自宅のパソコン、大画面やキーボードがいい
伊勢にいる間は、ノートパソコンで作業をしていたわけですが、
まぁ、最低限のしごとをするくらいだったら、そういう、
ノートパソコンの画面でいいかもしれませんが、やはり、本格的な仕事wするのには、そうしたノートパソコンなどの小さな画面でするのには不足があるものです。
いまこの文章も、神奈川の自宅の大画面で文章を下記、タイピングはうち慣れたREALFORCEのパソコンでタイピングをしているわけですが、やはり楽です。
先ほど、ものにこだわりを持つのは良くない、と書きましたけど、でもやはり、このキーボードや画面は大事だと感じます。
やっぱり、こういう環境というのは大事ですね。
いつか、パソコンもすべて、マックに載せ替えたいのですが、
ソレはもう少し、利益が上がったら。
いまはとにかく、この2週間、何もできなかった分を
ひっしに取り戻せるように、超えられるように頑張りたいと思います。
でも次にノートパソコンを買うなら、どちらにしてももう少し大画面のものにしようと思います。
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