こんばんは!
いつも応援していただき、ありがとうございます。
apa(あぱ)です(^^)
今日は『執着を捨てる』について書いていきます。
冷静にできない?
どうして、私ってこんなに気持ちが落ち着かないんだろう・・・?
どうしたんですか?
a子さん。
気持ちが落ち着かないってどういうことですか?
あ、apaさん。
そうなんです。
サイトを作っているときに、どうしても思ったような文章を書くことができなくて、つい気持ちが乱れてしまうんです。
落ち着いて、冷静にサイトを作らないとならない。
ということはわかっているんですけど、どうしても、気持ちが乱れてしまって・・・
いったいどうしたら、一定の、落ち着いた気持ちでサイトを作れるようになるんだろうな、と考えてしまったんです。
なるほど・・・
いや、でも、その気持ち、僕もよくわかります。
確かに、落ち着いて冷静に取り組んだ方がいいっていうことはわかっていても。
つい気持ちが乱れてしまうことがありますよね。
そうなんです。
自分の集中力のなさに嫌気が差してきそうです。
うーん、もしかしたらそれは、集中力でも精神的な乱れでもなくて。
一番の原因は、執着にあるのかもしれませんよ。
??
執着?
アフィリエイトサイトについてと書きましたけど、なんにおいても同じことが言えるのかもしれません。
こういうブログ記事においてもそう。
日常生活においてもそう。
精神的な乱れって、よくありますよね。
僕なんかは、このブログでしょっちゅう書いているように、文章を書いている最中に、思った通りのタイピングができずにいらだってしまうことがよくあります。
それはなにも、最近、やたらとタイピングにこだわっているから、というわけではなくて。
まぁ、最近こだわっているのは確かなんですけど。
前からそうでした。
たぶん、パソコンでビジネスをやっている方は、誰もが多かれ少なかれタイピングの壁にはぶつかるんじゃないでしょうか。
実際、僕自身。
タイピングにこだわり始めたのは最近ですけど。
その前から、自分のタイピングの精度の悪さに苛立っていることが多々ありました。
厳密にいうと、このブログの前身の前身。
一番最初にブログを書き始めた頃。
当時はFacebookでこのブログで書いていたようなことを書いていたんですけど。
そのFacebookでブログ的なことを書いているときに、あまりのタイピングの不出来さに苛立って、パソコンの画面を割ってしまったことがありました・・・(笑)
もう5年くらい前の話ですけど。
そのときから、自分のタイピングの不出来に苛立っていて。
そして、ある程度、タイピングのレベルは向上したとはいえ、やはり、タイピングの不出来さに苛立つことは間々あります。
でも、結局は。
もちろん、タイピングが上達すればそのような苛立つは多少解消されるのかもしれませんけど。
結局のところ、執着を捨てない限りは、この苛立ちは解消されないのかもしれません。
執着が足かせになっている。執着を捨てる
うーん、別に執着しているわけではないと思うんですけどね・・・
ただ私の精神が未熟なだけだと思うんですけどね。
仰りたい気持ちはよくわかります。
でも、じゃあ、どうなったら精神的に成熟したといえるのでしょうか?
物事に動じなくなったとき?
思うようにサイトを作れるようになったとき?
どうなったらって・・・
そこまではわかりませんけど・・・
何を持って幸せというのかわからないように。
幸せは幸せと感じているからこそ、幸せと言えるように。
実は精神的な乱れも、何を持って安定しているというのは言えないのかもしれません。
形あるわけではありませんしね。
そこで執着を捨てることが大切になってくるということですか?
そう思います。
また今回もマインド論全開の記事になってしまうのですが・・・(笑)
ちなみに、余談なんですけど、SEO的なことはtwitterの方に書いています。
なんだかtwitterの方が最近、そういうSEO的なことは書きやすいように思えています。
余談でしたが、今回もマインド論全開の記事ですみません。
例えば昨日の記事もそうなんですけど。
その前の記事も同じ。
成功への過剰な期待を持ってしまうのも、100%を求めてしまうのも、執着があるからに他なりません。
別の言い方をすれば、こだわりといえるのかもしれません。
つまりここ最近、ある程度似たり寄ったりの記事が続いているのかもしれませんね(笑)
とにかくそれら全部、「執着」が起因しているように思います。
僕の場合、少なくとも理想の自分に異様な執着を持ってしまっている。
「本当の自分はこんなんじゃないはずだ。」
という歪んだ思いが、パフォーマンスを低下させてしまっているような気がします。
でも、それは人間、もしかしたらみんな同じような側面があるのかもしれません。
一昨日のアフィリエイト作成、ミスタイピングだらけで苛立ってしまいました。
うまくいかないことだらけで、つい気持ちが乱れてしまいました。
結果的に、作ったそのサイトは、1時間後に商標1位になっていたんですけど・・・
だけど、その過程が雑。
打っては消して、打っては消しての繰り返しで、自分のタイピングのレベルの低さに茫然自失としていました。
でも、それも。
結局は執着が招いた事態なんじゃないかと思いました。
執着は足かせになる
結局の所、執着が物事の一番の足かせになっているんじゃないかと思います。
例えば、いつも書いているイータイピング5回連続ノーミスのルーチン。
数回目までの失敗ならまでともかく。
5回目のチャレンジで失敗すると相当凹みます。
特にそれが、5回目の最後の文章だったときの凹み方は相当なものです。
で、5回目のチャレンジに失敗すると苛立って、そのミスとロスの時間を取り戻すために、次のチャレンジは自然とスピードアップしています。
急いでいるというよりも、焦っている状態になってミスが多発してしまいます。
だけど。
そこで焦るんじゃなくて。
落ち着いて冷静に取り組むことができていたら、もっと早く、早期に問題は解決していたのかもしれません。
5回目だろうと、何回目だろうと、失敗は失敗です。
失敗に勝手に色を付けてしまっているのは自分自身に他なりません。
事実、今日もいつものルーチンで行ったイータイピングの5回連続ノーミスチャレンジ。
今日も、4回目の時点で失敗してしまいました。
でも、少し気持ちを切り替えて。
4回目の失敗だからと苛立っているのは自分自身に他ならない。
その執着心を捨てよう。
と思ったら、次のチャレンジも気軽に行うことができて、スムーズにクリアできました。
つまり、5回連続成功しないと、次の作業に進めない僕のルーチンを例にとっていうと。
5回目で失敗したからって苛立って、焦ってまた失敗を繰り返すのと。
5回目の失敗だろうと、何回目の失敗だろうと失敗は失敗。また同じようにチャレンジすればいいだけ、と冷静に取り組むの。
どちらの方が成功確率が高いかという話し。
もちろん、後者です。
事実に怒ってに色を付けてしまっているのは自分自身に他なりません。
そこにあるのは執着心。
5回目のチャレンジなのに失敗しやがって。
本当の自分はもっとできるはずなのに。
もう何回もやってきていることのはずなのに。
『なのに』という言葉の執着がパフォーマンスを低下させてしまっている。
つまり、理想の自分と現実の自分のギャップに苛立ちを覚えてしまっている。
理想の自分への執着が高すぎて、それが苛立ちなどの感情として表出してきてしまっているのかもしれません。
考えてみれば、会社に在籍していたとき、父も常に何かに苛立っていました。
もしかしたら遺伝なのかもしれません。
理想の自分に対する高すぎる執着が、苛立ちとなって表れて、逆にパフォーマンスの低下を招いてしまっている。
すみません、自分の話しばかりで。
とにかく、大事なことは、執着を捨てること。
そうでないと、執着はいつの間にか、足かせとなって、自分自身の、あなた自身のパフォーマンスを低下させてしまうかもしれません。
タイピングで言えば、そりゃあ、ミスなく打てた方がいいに決まっている。
だけど、そんなに簡単なものじゃない。
理想の自分にたどり着くのはそうそう簡単なものじゃない。
そう言い聞かせて、しっかりと現実の自分と向き合いながら作業を続けることが大切なんじゃないかと思います。
とにかく。
もし、あなたが。
ついうまくいかない物事に苛立って。
つい感情が表出してしまうようであれば。
つい苛立って、物や人に当たってしまい。
それでも、うまくいかない現実に苛立ちを覚えてしまうようであれば。
それはもしかしたら、理想の自分への高すぎるハードルという「執着」が生み出していることかもしれません。
うまく言葉にすることができないのですが・・・
とにかく。
執着は物事の成否の確率を大きく分けてしまいます。
あなたがもし。
つい、うまくいかない物事に苛立ちを感じるようになったら。
タイピングをしていて、思ったように文字が入力できなくて、苛立ちを感じるようなことがあれば。
それはもしかしたら、「執着」が生んでいることかもしれません。
「執着しない。」そう言い聞かせることで、気持ちを落ち着かせて物事に取り組めるようになるのかもしれません。
集中力や、座禅することも大事なことでしょうけど、あと深呼吸なんかも。
それよりも先に。
自分が強くこだわりすぎている、「執着」を捨てることで、始めて見えてくることがあるのかもしれません。
もしあなたが、やはりそうした「執着」にとらわれて、足を止めてしまっているのであれば、常々意識してみてください。
手が止まってしまいそうなとき、
勇み足になってしまいそうなとき、
思ったようにことが運ばなくて苛立ちを感じそうになったとき。
自分にこう言い聞かせてみてください。
執着は捨てる。
それだけで、もしかしたら気持ちは楽になるかもしれません。
・・・でも考えてみたら。
これはまぁ、編集後記的なものだと思ってもらいたいんですけど、
そういう執着、理想と現実のギャップというのは、僕たちが社会通念の中で植え付けられたものなのかもしれませんね。
「もっとちゃんとやってもらわないと困るよ。」
とか、
「もう何回もやってきたことだろう?」
とか。
「何回同じことをやれば気が済むんだよ。」
とか。
社会生活の中で虐げられてきたことを自分自身に当てはめてしまっている節が、人間もしかしたらどこかあるのかもしれませんね。
そういう、社会生活の中で当てはめられてきた常識を、取り外すことが、もしかしたら本当に大事なことなのかもしれませんね。
そのためにも。
冷静さを失いそうになったときや、苛立ってしまいそうなとき。
つい、自分自身を責めてしまいたくなったときには、
「執着は捨てる。」
そのことを、その言葉を自分自身に言い聞かせることが大切なのかもしれませんね。
まとめ
そういうことだったんですね・・・
私がつい苛立ってしまっているのは執着が原因で・・・
- 理想と現実のギャップによる執着が足かせになる
- 執着はときとして、苛立ちを生むこともある
- 理想の自分には簡単にたどり着くものではないと言い聞かせる
- 落ち着いて執着を捨てるという意識を持つことで、冷静に物事に取り組める
- それがかえってパフォーマンスを向上させる
ということなんですね。
そうですね・・・
強すぎる執着がかえってパフォーマンスの低下を招いてしまう可能性は十分にあります。
だから、つい苛立ちを感じてしまいそうになるときは、
「執着を捨てる。」
このことを強く自分自身に言い聞かせることが大切かもしれませんね。
わかりました。
確かに、私がうまくいかない物事に苛立っていたのは、執着が原因だったのかもしれません。
これからは、無理やり自分に自分の理想を押しつけないようにして、現実を受け入れる。
執着を捨てるようにして、冷静に物事に取り組めるように努めてみます。
ありがとうございます。
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