こんばんは!
いつも応援していただき、ありがとうございます。
apa(あぱ)です(^^)
今日は『自分がない可能性』について書いていきます。
アイツは自分がない?
アイツは自分がないからダメなんですよ・・・
アイツって誰のことですか?
a男のことですよ。
ふにゃふにゃしやがって。
ああいう草食系の男を見ていると腹が立ってくるんですよね。
ま、まぁまぁ、落ち着いて・・・
でも、a男さんってそんなに自分がないですか?
アイツ?
ああ、ないない。
どう見たってふにゃふにゃしてるし、ナヨナヨしてる。
男としての魅力ゼロだね。
ゼロ。
いくらなんでもそれはいいすぎのような気もするんですけど・・・・
でも、自分がないということはそれだけ大きな可能性を秘めていると言うことかもしれませんね。
はい?
自分がない。
もっと自分をモテよ。
これは僕自身。
大学時代とか社会人時代によく言われた言葉です。
懐かしい。
特に、社会人時代に、会社の社長に言われたのが印象的に残っています。
会社の社長に言われたと言っても、直接いわれたわけではなくて。
別の社員越しに、
「社長がたなけんは自分がないね。って言ってたよ。」
と言われた話なんですけど。
ショックでしたね・・・
まぁ、仕事のことで言われたわけではなかったんですけど。
それでも。
その当時。
あ、携帯電話販売店員として働いていたときの話しなんですけど。
そもそも仕事に自信が持てなくて。
本当に自分のことを会社の中で「お荷物」のように感じていたので、まさかそう、社長に言われるとは思っていなくてショックを受けました。
でも、それ以前から。
「自分がない。」
というのは大きな悩みの種でした。
何をやっても、人の下につく。
人の指示を仰ぐばかりで自発的に何かをやることができない。
そんな自分に苛立っていました。
あ、これはアフィリエイトの話しではないですね。
この記事を読んでくださっているあなたはどうですか?
「自分がない。」
と人から揶揄されたこと、ないですか?
この言葉が実はかなりショックだったりします。
かといって。
正直、自分の中では。
「自分がない。」
と言われていた当時の自分と今の自分にどれほどの違いがあるのか?
っていうのはよくわからないんですけどね。
自分がない。
と言われるのは、その当時ショックで仕方なかったんですけど。
今考えれば、「自分がない。」っていうのは、
「可能性に満ちあふれている」ということだと思います。
自分がない=可能性に満ちあふれている
apaさん・・・
apaさんとa男ってなんか雰囲気似てますよね。
そ、そうですかね?
んにゃ。
似てるな。
もしかして兄弟なんじゃねぇの?
いえ違いますけど・・・
それがどうしたんですか?
いや、やたらa男の肩持つからさ・・・
もしかして付き合ってる?
バカなこと言わないでください!
ふーん。
どうだか・・・
とにかく。
変にa男の方持たない方がいいですよ。
怪しいから。
アイツは「可能性がある」んじゃなくて「自分がない」だけですよ。
別にa男さんと付き合っているわけでも、兄弟というわけでもないんですけど。
だから、かばっているとかそういうのでもなくて。
ただ単純に。
「自分がない。」ということは、「無限の可能性」を秘めているということだと、僕は思いますよ。
??
自分がない。
っていう言葉を、自分の中では当初悪いことだと思っていました。
それに加えて人からよく言われる
「変っているね。」
という言葉。
言ってくる人も、それを僕に対して
「悪いこと」
のように言ってくる人が多かったので、
(僕がうがった見方をしていただけかもしれませんけど)
ずっとそのことを気にしていました。
だけど、冷静に考えたら。
どっちもそんなに悪いことではないと思うんです。
「自分がない。」
っていうのと、
「変ってる。」
っていうの。
自分がないは可能性がある
自分がないっていうことは、可能性があるということです。
そして、この記事でも書いたように。
アフィリエイトはやるにあたって、特に資格もいりません。
誰にでもやることができるビジネスです。
このときの記事は、アフィリエイトの可能性を示唆する意味で書いた記事ですが。
別にアフィリエイトに限った話しではなくて。
人生全般で。
「自分がない」
ということは、それだけ無限の可能性を秘めていると言うことだと思います。
目的と手段を見間違えなければそのことはよくわかるはずなんです。
一応、この記事でも書いたんですけど。
手段と目的は全く別物です。
あくまで、目的を達するために手段があります。
だから、
「自分がない」
と言われても、それは別に人生において大きな問題にはならないんです。
目的があったら。
その目的を達成するための手段は無限にあるので。
自分があろうがなかろうが、その目的を達成するための手段をいろいろ試してみれば良い。
現時点で目的が定まっていないなら。
いろんな経験値を積んでこれから成りたい自分になればいい。
『自分がない』
世間の中ではこの言葉が悪いように使われることもありますが。
そんなに悪いことでしょうか?
自分がないっていうのはそんなにいけないことなんでしょうか?
そんなことはないと思います。
むしろこれからの可能性をたくさん秘めている。
これからどんな自分にでもなれるということ。
そこに年齢は関係ありません。
『この歳になってまだ自分がない。』
なんて思う必要はありません。
年齢と、今できることは関係ありません。
自分がないということはそれだけ可能性を秘めていると言うこと。
そのことを忘れずに。
日々研鑽していくことが大切だと思います。
変ってるねは普通じゃない
あとはよく。
「キミって変っているよね。」
っていう言葉を言われる人もいると思います。
僕もしょっちゅうそう言われました。
逆説的な話しをするわけではなくて。
変っているっていうのは本当に褒め言葉だと思います。
普通であることがそんなにすごいことではありません。
変っていると言うことはそれまた可能性があるということ。
普通じゃないから。
普通の人とは違う発想が持てる。
違う行動ができるということ。
だいたい、世の中に出てくる「突出している人」というのは総じて、どこか「変っている」と言われている場合が多くあります。
もしあなたが、人から、
「あなたって変っているよね。」
と言われることがあるのなら、
「普通じゃないって言うことだ。褒め言葉だ。」
と受け取った方がいいと思います。
ある人は、
『「変ってるね」って言われたら「普通だね」って言い返せば良い。』
と言っていました。
もっと若い頃に、その言葉を聞いていたら僕の人生ももっと別のものになっていたんじゃないかな?
と思います。
あなたがもし。
「変ってるね。」
と、よく人から言われて、つい自分を叱責してしまう。
変っている自分に嫌気が差すのであれば。
そんなこと気にしなくていいと思います。
変っていると言うことも。
自分がないと言うことも。
すべて可能性を秘めていると言うこと。
それを無理に変えようとしたり。
自分を比定する必要は一切ないと思います。
普通であることがいいとは限りませんし。
自分があることがいいとは限りません。
これからの可能性を探る意味でも、
「変っている自分がない自分」で未来に前進していくことが大事なんじゃないかと思います。
まとめ
く、く・・・
そういうことですかい・・・
「自分がない」ということは未来の自分の可能性を秘めていると言うこと
「変っている」ということは普通じゃない。何かを成し遂げられる可能性があるということ
変っている自分がない自分で未来に進んでいくのもひとつの可能性
ということ?
そうですね。
自分があること、普通なことが悪いことというつもりもないんですけど。
逆説的に、自分がないからって、変っているからって自分を比定する必要なんて全くないと思いますよ。
く、くそ・・・
わ、わたしだって変わり者ってよく言われるんだからね。
ピーヒャラピー
・・・p子さんが変っていることは、わざわざ道化を演じなくてもわかっていますよ。
それはそれで複雑だ・・・
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