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今日は『西陣織の老舗「細尾」12代目代表細尾真考さんの話し』について書いていきます。
西陣織の老舗「細尾」12代目代表細尾真考さんの話し
今回は、西陣織の老舗、「細尾」の12代目代表、細尾真考さんの話しをご紹介していきます。1200年の歴史を誇るって、とんでもない歴史ですよね・・・
そんな1200年の歴史を誇る西陣織の老舗の12代目の代表細尾さんの話し。いったいどんな話しになるのか。
究極の美の追求
マインドやビジネス面とは全然違いますけど、この「細尾」。1200年前からずっと経営されているわけですが、テーマは一貫して、「究極の美」にあるようです。
1200年前の創業時から究極の美を追求し続けてきて、当時は富裕層のための織物を織る。
そこから様々な活動に手を広げてきました。
究極の美を体現するための分業をしたり、究極の美を上位概念に持ったり。
今回の細尾さんの話しの中でも、ちょくちょく「究極の美」という言葉が頻出していました。
それだけ、長い間続いてきた老舗にも関わらず、ずっとテーマが一貫しているというのは本当にすごいですね。
もちろん、1200年なんて、一般人には真似できるレベルの話では有りませんが、やっぱり、やることが変わったとしても、テーマを一貫して持ち続けるというのは本当に大事だと思いました。
例えば、ビジネスの根幹が変わったとしても「人の役に立つことをしたい。」という、ありきたりのようだけど、どこか、ずっと置い続けないとならない考えをテーマにするとか。
どんなビジネスをやるにしても、そのような、変わらないテーマを持ち続けるというのは本当に大事だと考えました。
負けを励みに
ここからは、少しラジオで話された内容をそのままに話していきます。
細尾さんご自身は、一度家業を離れて、2008年に戻ってきたそうです。
当時、「細尾」は状況としてはかなり厳しかったそうです。
もともと、細尾さんが家業に戻ってきたのは、
「海外で西陣織を普及させたい。」
というのがキッカケ。
それまでは、家業を継ぐつもりはなくて、音楽をやって行きたかったそうです。
余談ですが、ウェブライダーの松尾さんといい、京都で何かを成し遂げる人は、音楽に精通している人が多いのでしょうか?
話を戻して。
ちょうど、2008年頃、「細尾」でも、海外展開が始まっていました。
というのも、2006年に海外でテストマーケティングとして、世界の見本市に出店。
西陣織を使ったソファーを、細尾は出店したそうです。
しかし、オーダーはゼロ・・・
結果的には、
「帯」にはいいけど、ソファーに西陣織は合わない。
ということを思い知らされたそうです。
そして、2007年、西陣織を使ったクッションを出店したそうです。
その結果、2件オーダーが入ったものの、
それぞれ100万円ずつくらいの売上。
渡航費などを考えると赤字だったそうです。
ただし、そのような海外展開の様子を見て、細尾さんご自身は家業にもう一度興味をもって、2008年に再入社。
ところが、驚いたそうです。
社内のテンションがまるで違う。
自分はやる気が高い状態だったものの、
社内のテンションは低い。
それを見て、細尾さんは、
「海外出店専任でしばらくやらせてほしい!」
と表明したそうです。
3人でやった海外事業。
それまで全然うまくいかなかったものの、
2008年12月のルーブル美術館装飾展覧会。
ここで運命が大きく変わったそうです。
この展覧会で帯を2本出店。
そうしたところ、建築家のピーターマリオという方から依頼があったそうです。
なんでも、
「店舗のインテリアに使っていきたい。」
とのこと。
そのことがキッカケで、細尾の中でも考え方が変わったそうです。
「何かをプロダクトしないと」
から
「素材として使ってもらう」
という考え方が芽生えたそうです。
実際、それまでは、着物や帯以外の使われ方はしていなかったそうです。
素材として使うなんてもってのほか。
しかし、ピーターマリオさんの依頼は容易なものでは有りませんでした。
そもそも、素材として使うのでは生地幅が全然違う。
本来西陣織用で使う生地を素材として使おうとすると生地幅の調整がすごく難しかったそうです。
本当なら、そこで断るとこですが・・・
3年間、海外進出で失敗した経験があることから、
「ここを乗り越えられなければ終わり」
と、思って強行したそうです。
無理矢理でもやってみることにしたそうです。
その結果、そこから、リッツカールトンホテルやレクサスの内装でも、細尾の素材が使われるまでになったそうです。
この前のイチローの記事でも書きましたけど、
結局世の中、無駄なことなんてないんですよね。
細尾は3年間の海外進出の失敗で心を炒めていた。
本来だったらそのまま落ちぶれていってもおかしくなかったものの、
「細尾」はその失敗を糧に成長する道を選んだ。
その結果、今まで生き残ることができ、躍進することができたそうです。
ここから、僕たちが学べることは、やはり、
「失敗を無駄にしないこと」。
この前のイチローの話しでも書いたように、
「無駄」は必要なんですよね。
失敗って一見、無駄で無意味で、誰もが避けたいところではありますが、その無駄と思える失敗を経由したからこそ、成功にたどり着ける。
正解に近づけるという部分はあると思います。
というか、そのことを学ばされます。
僕たちアフィリエイターも、ここ最近苦しんでいる方は多いと思います。
もちろん、僕も。
ただし、その苦しみをそのままで終わらせるのではなくて、
その失敗、苦しみから学び次に活かす。
決して絶望するのではなくて手を動かし続ける。
これが重要なんだと思います。
改めて、失敗、挫折は誰にでもある。
大事なのはそこから何を学び、どう成長していくことなのか?
ということを思い知らされます。
挑戦がDNA
最初はそのような、海外出店への意欲。
社内では困惑されたそうです。
社長であるお父様は応援してくれたものの、なかなか歯車はうまく回らなかったそうです。
だけど、「細尾」は「挑戦」がDNAとして受け継がれている。
「変わり続ける」、「負荷をかけ続ける」をモットーに今がある。
だから、最初はうまくいかなかったものの、今は社内が楽しみながら取り組んでいるそうです。
やはりこの「挑戦がDNA」という言葉。
すごく格好いいですよね。
僕もいつか、そんなこと堂々と言ってみたい(笑)
でも、本当にそういう気持ちを持つことは大事なんでしょうね。
挑戦をDNAとして物事に果敢に取り組んでいく。
失敗しても、それでも取り組み続ける。
挑戦し続ける。
その姿勢を持つことが本当に大事なんだと思い知らされます。
もしこの記事を読んでくださっている方の中で、やはり同じようにうまくいかないこと続きで、絶望的な気持ちになっているのであれば。
「挑戦がDNA」
と、自分自身に言い聞かせて物事に果敢に取り組んでいくことも大切なのかもしれません。
ちょっと無理矢理でもそのような気持ちを持って取り組んでいく。
そうすることで、開ける道というのも出てくるのかもしれません。
ということを僕自身、改めて学びました。
来週もまた楽しみです。
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