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今日は『TBSラジオMeet Up、西陣織の老舗「細尾」12代目代表細身真考さんの話し2』について書いていきます。
TBSラジオMeet Up、西陣織の老舗「細尾」12代目代表細身真考さんの話し
さて、今回は前回の話の続き。京都西陣織の老舗、株式会社細尾の12代目、代表細尾真考さんの話しの続きを書いていきます。
前回の内容はこちら。
細尾さんの遍歴
まず、冒頭で細尾さんの遍歴について語られていたので、ザックリ書いていきます。
細尾さんは、0~4歳、ミラノに住んでいたそうです。
ご本人は、口ぶりから察するに、あまり記憶にないようでしたが、日本とミラノでは教育がまったく違ったそうです。
途中で日本に戻ってきて様々なギャップに苦しんだそうです。
基本に日本に戻ってきてから幼少時代の細尾さんは全然集団行動ができなかったり、ミラノの幼稚園は基本「褒める」ことが多く日本とは違う。
また、日本ではハグができないので、そこにもギャップを感じていたようです。
学生時代には、中学2年位でエレキギターにハマったそうです。
ただ、コピーが全然おもしろくなく、宙ぶらりんのような状態で続けていたそうです。
しかし高校1年でセックス・ピストルズを聴いて衝撃。
上手い下手じゃなくて格好良ければいいんだと思ったようで、スリピースのバンドを作ったそうです。
そこで、自分で曲を作るという、クリエイションする良さを感じたそうです。
そのままプロミュージシャンを目指したそうで、どうやら本当にプロミュージシャンになったそうです。
周りが就職していく中でも、細尾さんご自身は家業に戻る選択肢はなく、ずっと麻布に住んでいたそうです。
しかし、仕事がワンショットで悩んでいたそうです。
波があり、収入が安定しづらい。
周りに住んでいたクリエイターも同じで、やはり経済のバランスが取りづらいことに頭を抱えていたそうです。
おんがくはそういう傾向があるようですね。
ちょうどそのころ、原宿あたりに精通していて、「ファッションが儲かる」ということを知ったそうです。
そして同時に、みな、周りにマーケットがないところからビジネスを作っていった方ばかりで、そのことから、
マーケットがないなら作っていくしかない。
ということを学んだようです。
シャンクーフーの発足
その後、上海に移り住んだそうなのですが、その上海で多くの衝撃を受けたそうです。
アメリカのフォトスタジオなどがあり、クリエイティブな街という印象を受けて、
上海に済む決意をしたとのこと。
そこで、上海発のファッションブランド、「シャンクーフー」を立ち上げたそうです。
ファッションを軸にアートと音楽を融合させたビジネスを日本に展開するビジネスだったそうです。
しかし、そのシャンクーフーは、開発から入るというやり方を選んだため、どうしても、原価が高くなってしまい、売れば売るほど再三が取れないという状況が続き、2年位で終わってしまったそうです。
東京のファッションジュエリーの会社に就職
その後、音楽も手につかなくなってしまって、
「冷静に考えると、ビジネスのスキルが全然足りていない」
ということに気づき、3~5年、就職してスキルを身に着けようと、
東京のファッションジュエリーの会社に就職したそうです。
そこではじめて、商品部などを経験して、原価の概念をちゃんと学び、目からウロコばかりだったようです。
営業もやることになり、とにかく、ビジネスで必要なことをすべて学ぶことができたとのこと。
シャンクーフーの経験があり、スポンジのように入ってきたと語られていました。
海外の可能性に気づく
その後、商品開発部に入って、そのファッションジュエリー会社が海外に展開しようとしているので、その業務に携わったそうです。
しかし、残念ながら、日本のファッションジュエリーは海外に相手にされない現状。
撤退を余儀なくされたそうです。
しかし、細尾さんは、その経験を通じて、海外の可能性を逆に感じたそうです。
日本のファッションジュエリーでは、海外に通用しない。
音楽も同じ。
でも、「細尾」の西陣織なら、
日本独特の文化を海外に持ち込むことになるので勝算があるのでは?
と考えたそうです。
そうして、
「海外で西陣織を展開するのはセンセーションナルでクリエイティブ。美味しいな。」
と感じ、ようやくここで家業に戻る選択肢が出てきたそうです。
退社後フィレンツェへ~細尾へ
そして、その後、ファッションジュエリーの会社を退職して、
すぐに細尾へ入ったのではなくて、いったん、フィレンツェへ移り住んだそうです。
ミラノで、いろんな会社を見てみたい。
海外で職人を見てみたい。
ということで、1年弱、フィレンツェの街を見て回ったそうです。
そして、2008年頭くらいに今現在の細尾のブランドに入社したとのことでした。
未来につないでいく考え
と、ここまで、細尾さんの遍歴を書いてきましたが、この30分番組では語りきれないほどの濃厚な人生を送ってきたことが容易に伺えます。
その後、去年、つまり、2021年に社長が交代して、今の細尾真考さんが社長になったようです。
そんな細尾さんが今、熱を入れているのは、未来につないでいくこと。
昔から引き継がれてきた細尾の着物文化、そして今やっている染色の技術をいかに未来につないでいくか。
染色を未来につないでいくか。
ということを考えているそうです。
それって重要なことですよね。
僕たちはつい、
「目の前の物事」
で手一杯になってしまいがち。
もちろん、僕もです。
だけど、
「今やっていることが未来にどう繋がっていくのか?」
ということを自分目線じゃなくて、自分や自分の家族など、小さい視野だけではなくて、もっとグローバルな視点で考えていく。
これはどのビジネスをしていく上でも重要なことなのかもしれません。
どちらにしても、目の前のことで目一杯、手一杯になっていては、その場限りの狭いビジネスで終わってしまうのかもしれません。
経験の重要性
ここまで、基本的に細尾さんの人生の話を書いてきましたが、でも、結局、僕自身、全体を通して思うことは、「経験」がやっぱり重要なんだなと思うことです。
音楽にのめり込んでそのまま、プロミュージシャンになったり、
その後、アートの魅力を感じて、シャンクーフーというブランドを立ち上げたり、
日本においてファッションジュエリーの会社に入ったり。
もちろん、そんな短文で語れるほど、容易なことではなくて、実際には試行錯誤、苦難がたくさんあったんだと思いますが、それでも前提としては、
「何事もチャレンジしていく。」
というのが細尾さんの姿勢から伺えます。結果的に見ると、細尾さんのこれまでの人生は「失敗」が多かったものの、普通の人では経験できないことをたくさん経験しています。
というか、普通の人は、そんな経験をする前に、
「自分にはできるわけがない」
と思って手を引いてしまうこと。
それを細尾さんは、センセーションナルに突っ込んでいく姿勢が伺えます。
これって本当にすごいことです。
言葉ですると本当に簡単に聞こえますけど、かなりむずかしいこと
でも、このことから学べることは、僕たちも、
「失敗」が怖くても、たくさんいろいろな経験をしていったほうがいいということ。
もちろん、失敗するのは本当は怖いけど。
でも、細尾さんのように、様々な経験を通して成長していくために。
その先にあるステージに進むためにも、
失敗を恐れず挑戦する。
その重要性を改めて学んだ気がします。
僕なんかはとても偉そうなことを言える立場にはありませんが、
もし、この記事を読んでくださっているあなたが、物事に行き詰まりを感じているのであれば、
これまたそんな短文で語れる話しではありませんが、今回の細尾さんのように、
「何事にもチャレンジしていく姿勢」
を持って、物事に取り組んでいくことが大事なのかもしれません。
もちろん、失敗はすると思います。
失敗しても、それを次に繋げることができれば、その経験は無駄にはならない。
今回の西尾さんのお話からそんなことを学べたように思えます。
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