こんばんは!
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apa(あぱ)です(^^)
今日は『当たり前の中に正解がある』について書いていきます。
秋元康さんの教え3:当たり前の中に正解がある
今回はここ最近、書いている秋元康さんの教えシリーズの3回目。
これまでのはこちら。
僕の文章力はともかく、内容そのものはすごく勉強になる話です。
僕の駄文に耐えて笑
読む価値は十分にあると思いますので、ぜひ読んでみてください。
で、今回はそんな秋元康さんの学びシリーズの3回目。
「当たり前のことの中に正解がある」
という話です。
当たり前のことの中に真理がある
最終的な話はこういうことになるんだと思います。
「当たり前のことの中に真理がある。」
この話は、これまで書いてきたのと同様、リスナーからのメッセージに秋元康さんが答えているシリーズ。
今回の悩みは、10代の男性?からの質問。
これから大学受験のシーズンですが、本当に大学に行かなければならないのでしょうか?
と、悩んでいるとのことでした。
それに対する、秋元康さんの回答。
こういった人生相談をよく受けるけど、あまりうまく答えられない。
結局のところ、当たり前のことが正解だったりする。
大学に行くべきかどうかではなくて、
大学に行って何をすべきか、何をやりたいかじゃないですか。
と、話されていました。
さらにこうも。
オリジナリティーのある答えを言ってあげたいけど、結局色々体験するほど、一番当たり前のことに帰結する。何をやりたいか、何をするために行くのか。
色々あるけど、人の考え方であって、そこで何をするか。
一番はその時にしかできないことをやっているかどうか。
こうも話されていました。
行くべきかどうかではなくて何をするか
考えてみれば、人の人生。
「明らかな分かれ道。」
って色々とあると思うんですけど、主には高校、大学、就職でしょうか。
僕の時代では、それはまだ当たり前の道として用意されていて、それ以外の選択肢はありませんでした。
ところが今の時代。
YouTuberにネットビジネスに、他にも様々な副業に。
今まで当たり前のように用意されてきた道筋が「当たり前」ではなくなってきています。
そんな時代だからこそ、
「自分は普通に高校行って、大学行って、就職して、そんな当たり前の道を進んでいいのだろうか?」
と、悩んでしまうのも当然かもしれません。
でも、秋元康さんは、そんな悩みに対して、
「当たり前のことの中に真理がある。」
と伝えてくれています。
そして、行くべきかどうかではなくて、行ったその先で何をするか?
それがだいじだと語っています。
すごく個人的な話になってしまいますが、すごく共感します。
特に、大学については強く。
僕は、恥ずかしながら?帝京大学というあまり偏差値の高くない大学出です。
特に目的もなく大学に入って、
正確に言うと、高校のときに英語の専攻コースに入ったから、
そしてその流れでオーストラリアにホームステイをしたから、
なんとなく大学でも英語を先行していました。
だけど、あまり、身が入らず、そして特に彼女ができるわけでもなく。
なんだか張り合いのない1年間を過ごしていました。
まさに、エスカレーター式で大学に入学したことを少しだけ後悔した一年でした。
でも、ニ年生になって意を決して入った音楽サークルで人生が一変。
最初は辛く、苦しいことばかりでしたが、あそこで人生が180度変わったなと感じました。
初めて、本当に「友達」、「仲間」と思える存在と日々を過ごすことができました。
今ではほとんど付き合いのない人たちばかりですが、だけど、あそこで過ごした時間は一生忘れられないかけがえのない時間だと思います。
それを振り返ると、秋元康さんの、
「行くべきかどうかではなくてそこで何をするべきかが大事。」
という話も身にしみてわかります。
ただ、エスカレーター式で入学した大学。
そこでもし僕が、音楽サークルに入らなかったら、きっとうだつの上がらない4年間で人生は終わっていたと思います。
だけど、そうではなくて。
そこで途中で音楽サークルに入って、充実した時間を過ごすことができたからこそ、
「人生は楽しいこともある。」
と、心から思えるようになりました。
当たり前のことに帰結する
結局は当たり前のことに帰結する。
高校行って、大学行って、就職をする。
一見、
「つまらない人生」
に思えるかもしれませんが、だけど、そんな当たり前のことの中に真理がある。
大事なのは当たり前のことを忌み嫌うのではなくて、その当たり前の流れの中で、
「何をするか?」
「何を見つけるか?」
だと、秋元康さんは解いてくれました。
その時にしかできないことは貴重
そしてこうも言っていました。
何を言いたいかというと、大学の頃から台本を書き始めました。
とっても面白く、後悔はしていないけど、
そして台本を書くことはできたけど、部活には行っていなかった。
あの当時、もしそういう部活とかサークルとかの経験をしていたらどうなっていたかな?
と考えたりする。
大学時代は先を急ぎすぎていた。
そういう経験(部活とかサークルとか)はその時にしかできない。
その時にしかできないことは貴重。
このように話されていました。
確かに、大学でのサークルも部活も。
あるいは他のいろいろなこともその時にしかできない貴重なこと。
正直、恋愛だって、お酒だって、ゲームだって。
仕事だって。
やろうと思えばいつでもできる。
だけど、そのときにしかできないことはすごく貴重。
それをやるかどうかが大切。
当たり前のことの中でその時にしかできないことを見つけてやる。
それが重要だと秋元康さんは解いてくれました。
当たり前のことをやって、その中で何をやるべきか考える
結局のところ。
この秋元康さんの話しの中で、秋元康さんが言いたかったのはこういうことなんじゃないかと思います。
当たり前のことをやって、その中で何をやるべきか考える。
僕も今は、アフィリエイトという不安定なビジネスをやっていますが笑
最初からそういう人生を送っておけばよかったかと?というとそんなこともなく。
高校行って、大学行って、就職して転職したからこそ、今があると感じています。
と、忌み嫌うのではなくて、その当たり前のことの中で何をするか考える。
結局、「当たり前のこと」というのは正解だから当たり前として用意されていることが多い。
秋元康さんはそのようにおっしゃっていました。
でも、「当たり前のこと」というのは、高校、大学、就職にかぎらず、常に用意されているもの。
なにかに迷ったら、一度「当たり前」に身を委ねてみるのもいいのかもしれません。
そしてその当たり前の渦中の中で何をしたいか?何をするべきか?見極めることが大切なんだと思います。
そんな重要なことを教わった気がします。
当たり前を忌み嫌うのではなくて、当たり前の渦中で何をするか?何をするべきか?何を見つけるか?
そういうのを大切に、毎日を生きていきたいものですね。
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