こんばんは!
いつも応援していただき、ありがとうございます。
apa(あぱ)です(^^)
今日は『新しいことへの抵抗』について書いていきます。
※今回の話し、話しが途中から大きくすり替わっています。でも、それを書き直したり、消したりしたらなんていうか、そのときの空気感というか、熱量みたいのが文章から消えてしまいそうだったので、そのまま書き進めました。(っていつものことなんですけど)
多々、読みづらい点、前後の脈絡が見えない点があると思います。
でも、そのまま読み進めていただけますと幸いです。
新しいことは怖い?
ふぇぇぇぇ・・・
こわいよ・・・
ぼくはやらなくていいんだ。
どうしたんだい?
モン吉くん。
やらなくていいってなにが?
なんかね、しりあいのおにいさんが、
「このやりかたでやるといいよ。」
って、アフィリエイトのやりかたをおしえてくれたんだけど、ぼくにはあわないとおもうんだ。
ん?
怖いからじゃないの?
き、きいてたのか・・・
ちがわい!
ぼくにはきっとこのやりかたはあわないんだ。
サルにはできることじゃないんだ。
きっとニンゲンにしかできないアフィリエイトしゅほうなんだよ。
うーん、モン吉くんの気持ちもわからなくはないけれど・・・
でも、それが本当に必要なことなら、怖がらずやった方がいいと思うよ。
だから、こわいんじゃないやい!
サルにはできないのさ!
人間・・・
あ、モン吉くんの場合はサルなんですけど・・・
なにか新しいことを始めようとすると恐怖が芽生えるものです。
そして、だいたいの場合。
それは恐怖として認識されていない場合が多いです。
今回のモン吉くんのケースでいえば。
モン吉くんは本当は新しいやり方を実践するのを恐れているんです。
だけど、恐怖を受け入れまいとして必死に抵抗しています。
あなたはどうですか?
新しい何かを始めようとして、抵抗を感じたこと、ないですか?
これは○○だからできない。
という理由をつけたことないですか?
例えば、新しい何かを買おうとして。
例えばそれがアフィリエイトの新しいツールだったとして。
それを買うかどうか悩んだときに。
「今はお金がないからやめておくか。」
という選択。
確かに、本当にお金がないというのも事実なのかもしれません。
だけど、それはもしかしたら。
「やらない選択」というのが先に来ていて、あとから「お金がない。」という事実を当てはめているだけなのかもしれません。
『嫌われる勇気』
という本が一時期スゴく流行りましたよね。
当初は好きすぎて、転職フェアであった作者の岸見さんのセミナーを受けに行きました。
もちろん、当時は会社員だったものの、特に転職するつもりはなくて(笑)
ただ、単に岸見さんのセミナーを受けたくて行きました。
さすがにもう、かなり前の話なので、具体的な中身は覚えていないものの・・・
あ、メモにあったか。
2015年10月17日のメモ。なぜか誕生日に書いている。
誕生日に受講したんだっけ?
セミナータイトルが、
『新しい世界を切り開くための心の持ち方』
冒頭の話しが、
「新しい世界は自分で開くしかない。」
という話しから。
こういうことをメモしていました。
転職についての話しですね。
何かを決断した時、多かれ少なかれ『やめたほうが良い』と制止する人がいる。関係が今までと同じになることはあり得ない。恨まれたり憎まれたりもする。しかし、総じて自分に対して良くない感情を持っている人がいたら、それは自分が自由な生き方をしているということ。そしてそれは自由になるための代償でもある。
そして、仕事の意義についてのメモ。
人間は何のために働いているのか。仕事のためではない。生きるために働く。生きていてよかったな、と思えるために働く。
そして、対人関係についてのお話し。
アドラーは『自分に価値があると思える時だけ勇気を持て。』と言っている。勇気とは対人関係に入っていく勇気のこと。対人関係に入れば摩擦が生じるから人間は対人関係を避ける。あらゆる悩みは対人関係にある。でも生きる喜びも対人関係からしか得られない。一人では喜びを感じられない。誰かと一緒にいて「良かったな」と思うことがある。生きる喜びや幸せは対人関係をなくして得られない。対人関係に入っていく勇気を持ってほしい。
そうとわかっていても、なかなか人のことを好きになれない。
そして、生きていることに価値を感じられないのであればこのようなことを考える、とも。
ひとつは短所と思っていることを長所と思うこと。集中力がないのであれば散漫力がある、飽きっぽいのであれば決断力がある、暗い人であれば、本当は優しい、というように言葉を長所に置き換えること。「嫌われる勇気」とは人に嫌われることを恐れていては幸せにはなれない、という意味。そしてもうひとつは何らかの形で他者に貢献していると考えること。人間は自分が貢献していると感じられているときに自分に価値を感じられる。何を持って貢献というかは人によって違うけれど、私が重い病気で入院したとき、周りの人は私が「生きている」ということに喜んでくれた。このように「生きている」ということに価値があると思えたら、すべてのことをプラスで考えられるようになる。転職活動も同じ。この活動が他者に貢献していると考えなくてはならない。この仕事、活動で誰かの役に立っていると考えられてこそ、自分に価値が感じられる。だから、なんとか自分に貢献感を感じられる仕事を見つけてほしい。
なんだか期せずして長くなってしまいましたが、今度はドイツ語のザッハリヒ。
地に足のついた生き方のポイントのお話し。
- 「人からどう思われるかを気にしないこと。「評価」と「自分の本質」は違う。人に「あなたは嫌な人だ。」と言われたら確かにへこむ。でもそう言われたからといって、自分の本質が変わる訳ではない。それはその人の見方でしかない。逆に「良い人」と言われても自分の本質は関係ない。人の評価に振り回されない、ということが地に足のついた生き方。人から嫌われるというのは「自由に生きることの代償」だから反社会的な行動をしなければ問題はない。
- 「理想の自分ではなく現実の自分と付き合うこと。あまりに高い理想を持つと、現実の自分を受け入れられなくなる。高い理想は現実を受け入れないための手段でもある。例えば、理想の会社が英語のスキルを求めているのであれば英語を勉強するしかない。PCのプログラミングデータを完成間近で誤って消してしまっても1行目から打ちなおすしかない。それが現実を受け入れるということ、理想の自分を考えすぎずにいまできることは何かと考えること。他者に対しても理想を持ちすぎないこと。」
- 「もしも~ならばという発想から逃れること。可能性の中に生きないこと。転職活動をしているなら、それが現実。「あの会社に入れたらな・・・」と考えても仕方がない。現実は今この瞬間しかない。今この瞬間を疎かにして生きても仕方がない。あまり先のことを考えていないで今を着実に生きること。」
そして、最後にチャンスのつかみ方についても。
あきらめたら何も起こらない。できることをする。これがアドラーの言う楽観主義である。チャンスはどこにあるかはわからない。意外なところに転がっているもの。深刻ではなく真剣に。悲観になる必要はない。落ち込んでも現実は変わらない。チャンスを逃さないようあきらめずに動き続けることが大切。
この当時・・・
知り合いの女性と一緒に受講していたのですが、僕は一言一句聞き漏らさまいと思って、パソコンのタイピングをかちゃかちゃ行っていました。
たぶん、当時は今よりもタイピングが下手だったのでカチャカチャうるさかったと思います。
メモの最後にも、
「周りからしたらうるさくてご迷惑だったろうな・・・」
ということを書いていました(笑)
いや・・・
やっぱりメモっていいですね(笑)
期せずして、ふと過去に書いたメモの内容を見返しましたけど・・・
本を読んでるだけではわからないことを直接の作者の言葉で聞くことができるんだから。
当時、しっかりとメモしておいてよかったな。
メモしていなかったら、
「あのときなんかいい話聴いたよな・・・」
くらいにしか思い出せなかったけど。
当時のメモをそっくりそのままEvernoteに残しておいたおかげで、話しの内容をしっかりと思い出すことができた。
よく、「セミナーでメモする行為は意味がない。」と言われるけど、そうとも言い切れないんじゃないかと思いました。
少なくとも、今回は5年前に受講した岸見一郎先生のお話を鮮明に思い出すことができました。
今考えれば、ですけど。
ここで岸見一郎先生のお話を聴いたことが、転職のキッカケ。
会社員をやめて、アフィリエイターになるキッカケだったのかもしれないな、と思いました。
なるほど、どれもタメになる話しですね。
特に、自分がアンダーラインを引いていた、
『現実は今この瞬間しかない。今この瞬間を疎かにして生きても仕方がない。』
というお話し。
確かに、僕たちはつい、なにかと理想を抱いてしまいがちです。
本当はもっと、こんな生き方があったんじゃないかな?
という。
「もしも」の発想からなかなか逃れられません。
可能性の中に生きてしまうのが人間といえるのかもしれません。
だけど、どんなに高い理想を持っても、現実は今この瞬間しかないんですよね。
例えば、今、「瞬間」って打つのも、何回も指がキーボードにぶつかって、
「すんかん」
ってなってしまってイライラする(笑)
「瞬間」って打っているはずなのに「すんかん」ってなってしまうことに憤りを感じる。
「瞬間」って打っているはずなのに、なんで「すんかん」になっているんだよ!
とつい思ってしまう。
だけど、理想は「瞬間」。現実は「すんかん」。
なのであれば、「すんかん」の現実を受け止めて、きちんと「瞬間」と打てるように注意するしかないんですよね。
「瞬間」って入力しているだろう!
なんで「すんかん」になっているんだよ!
と考えても、現実は1ミリだって変らないんですよね。
なんてことをふと考えました(笑)
岸見一郎先生のセミナーでの話しまとめ
- 人の評価に振り回されないこと。
- 他人の評価と自分の本質は違う
- 人から嫌われると言うことは「自由に生きることの代償」
- 短所を長所の言葉に置き換えること
- 生きる喜びや幸せは対人関係なくして得られない
- 仕事のためではなく生きるために働く。生きていてよかったな、と思えるために働く
- 新しい何かを始めるとき、決断したとき制止が入る。
- 自分に対して良くない感情を持っている人がいたら自由な生き方をしているということ。
- そしてそれは自由になるための代償である
- 理想の自分ではなくて現実の自分と付き合うこと
- 高い理想は現実を受け入れないための手段
- 可能性の中に生きない
- 現実は今この瞬間。この瞬間を疎かにして生きても仕方ない
- 先のことばかり考えないで今を着実に生きること
- 諦めたら何も起らない。できることをする。=楽観主義
- 深刻ではなく真剣に。悲観になっても落ち込んでも現実は変らない。
- チャンスを逃さないように諦めず動き続けること
まとめって言える量ではなくなりましたが、ザッとまとめるとこんなところでしょうか。
こんなツラいことが多い時代だからこそ、大切にしたい教えですね。
理想に生きないで今を着実に生きないとならないんですよね。
恐怖から目を反らさずに向き合うことで道が開ける
うーん、なんだか本質とズレた気もするんですけど・・・
この記事を書いていて、ふと2015年当時のこのセミナーメモを読み返したのも、なにかしらの運命だったのかもしれませんね。
ちなみに、今回の話しとリンクすることもあって。
新しいことをやろうとすると、つい人間恐怖が芽生えてしまうんですよね。
そのたびに、
「お金がない」
とか、
「今じゃない。」
とかなにかと理由を付けてやらない選択をとる。
そしてそれは、「嫌われる勇気」の中で書いてあった、
「怒る理由」
にも関係している。(このことからふと、当時岸見一郎先生の話を聴いたことを思い出しました)
人間が怒るときは、理由があるから怒るのではない。
怒りたいから、そのための理由をあとから付けているだけ。
という話し。
人間の新しいことへの恐怖も同じで。
新しいことをやろうとすると、何かと理由をつけてやらない選択肢をとる。
だけど、本当は「やりたくない」からあとから理由をつけているだけ。
あなたは、なにか、やらないでいること、ないですか?
それはもしかしたら、「やりたくない」という気持ちがあるからこそ。
そのあとに、「やらない理由」を勝手につくってしまっているだけなのかもしれませんね。
・・・って。
どんなことを書いても、やっぱり岸見一郎先生の話を書いた後だと、跡を濁すだけになってしまいますね(笑)
とにかく。
かなり大切なことを思い出した気がします。
理想を生きないで現実に生きないとならない。
可能性の中に生きることをやめないとならない。
現実は今この瞬間。
今を着実に生きていかないとならないんですよね。
ツラい現実だからこそ。
だけど、その現実を受け止めて、今できることを精一杯やる。
楽観主義になっていきたいですね。
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