【小出監督の教え】伝えると伝わるは違う。褒める無責任・叱る責任

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こんばんは!

いつも応援していただき、ありがとうございます。

apa(あぱ)です(^^)

今日は『小出監督の言葉』について書いていきます。

 

小出監督の言葉

さて、今回は、小出監督の言葉について解説していきます。

 

小出監督はみなさん、ご存知、マラソンランナーの監督。

 

もともとご自身も陸上選手でそこから高橋尚子選手や有森裕子選手などを見出し、育てた有名な監督ですね。

 

2019年に惜しくも肺炎で亡くなられましたが、多くの陸上選手に影響を与え続けたのは確かです。

 

僕自身も、高校時代。

 

陸上部で中長距離をやっていたので、いつも小出監督の存在は気にしていました。

 

なぜ、急に小出監督の話が出てきたかというと、これまた、ラジオ。

 

先日、たまたまラジオを見ていたら、小出監督の教えについての短い番組がやっていました。

 

たまたまラジオで聴いたことをメモした程度、しかも、酔っていたのもあり、ほんの少しのメモ。

 

そもそも、短い番組だったので、メモする内容も少なかったのですが、とても、勉強になる内容が多かったので、ここでシェアしたいと思い記事にすることにしました。

 

繰り返しになりますが、番組そのものはとても短く、「3000文字」にするには多少の引き伸ばしが必要になります。

 

ちょっと見苦しい部分が出てくるかもしれませんが、可能な限りお付き合いいただけますと嬉しいです。

 

伝えると伝わるは違う

まず最初に書いていく内容が、伝えると伝わるが違う。

 

覚えている限りで書いていきます。

 

たぶん、有森裕子のオリンピック出場の選考会での出来事。(聞き違いや記憶違いで違う選手の話しだったらすみません。)

 

もともと、コースが悪いこと、風が強いことなどを知っていた小出監督は、レース前に口酸っぱく、

 

「レース本番では大転倒が起こりそれに巻き込まれるかもしれないから注意するように。」

 

と、教えられていたそうです。

 

いざ、レース本番を迎えたら小出監督の教えどおり、コース何kmの地点で集団が大転倒。

 

結果、有森裕子はその転倒に巻き込まれて、失速。

 

オリンピック出場の機会を逃したそうです。

 

・・・すみません。

 

おぼろげな記憶で書いているので、細かい点に相違があるかもしれません。

 

今、念のために調べたら、もしかしたら、この記事で書いてあるレースのことかもしれません。

 

努力と我慢を貫いて、有森裕子、爽やかな引退。 (藤山健二)
女子マラソンの有森裕子(リクルートAC)が引退した。3万人のランナーが都心を走った東京マラソンに出場した有森は、22.7km付近で後続のランナーと接触して転倒。腰を強打した上に両手両ひざを裂傷し、血…

 

どちらにしても、レースで大転倒して、事前に小出監督からアドバイスをもらっていたにも関わらず、その最悪の事態に巻き込まれてしまったそうです。

 

そのとき、小出監督は、有森裕子選手に謝ったそうです。

 

「すまなかったな。」

 

と。

 

でも、有森裕子選手は、こう言いました。

 

「そんなことないです。監督は事前に伝えてくれていたじゃないですか。その忠告を聞かなかった自分の責任です。」

 

と。

 

そう、自責する有森裕子選手に対して、小出監督はこう返したそうです。

 

「伝えると伝わるは違う。たしかに、『伝えて』はいたかもしれないけど、『伝わっていなかった』時点でそれは監督の責任。」

 

と、言ったそうです。

 

すごい言葉ですね・・・

 

今の会社やスポーツの世界でこれを実際に言える人がどれだけいるのでしょうか。

 

僕も、それなりに長かった社会人生活の中で、このことについてはずっと考えさせられました。

 

「どれだけ、責任から逃れる上司が多いんだろう・・・」

 

と。

 

あっと、これはこの後書く予定の内容でした。

 

とにかく、

 

「言った言わない」

 

の問題になったときに、「部下が悪い」と、部下に責任を押し付ける上司がほとんどでした。

 

「なんで言ったことを覚えないの!」

「言ったよね!?」

「聞いてなかったの?」

 

たぶん、こんなの、当たり前のように今の社会の中でも蔓延していることだと思います。

 

でも、どうなんですかね?

 

小出監督の教えが「絶対に正しい」なんていうつもりはないですけど、でも確かに。

 

部下に教えが伝わっていないのであれば、それは、「伝える側」にも多かれ少なかれ問題があるのは確かです。

 

でも、現実には、自分が責任を負いたくないからなのか、それか、よほど自分のやり方は間違っていないと思っているのか、

 

「なんで言ったことを覚えてないの?!」

 

と、部下を叱責する上司があまりにも多いように思えます。

 

何が正しいかは、人の観点や考え方によって異なるので、絶対に今回の小出監督の教えが正しいと断言することはできませんが・・・

 

ですが、少なくとも。

 

教える側は、この小出監督みたいに、

 

「伝え方に問題があったんじゃないか?」

 

と考えられる心のゆとりが必要なように思えます。

 

もちろん、これは、上司と部下の関係だけじゃなくて、人と人との交流においても同じことがいえます。

 

あなたは、きちんと人に対して「伝える」ことができていますか?

正確には、「伝わる」ように「伝える」ことができていますか?

 

伝わると伝えるは似て非なるものです。

 

人に対して「伝わる」ように「伝える」努力をすることが大切です。

 

褒める無責任と叱る責任

次の学びは、褒める無責任と叱る責任

 

小出監督は、「褒める指導」で有名です。

 

でも、決して、現実には「褒める」ばかりではなくて「叱る」ということもやっていたそうです。

 

ただ、実際は「褒める指導」が中心で、レースで選手が結果を出さなかったら、

 

「お前が悪いんじゃない。監督である自分の責任だ。」

 

と、責任を引き受けていたそうです。

 

なぜ、そのような指導方法を徹底していたのか?

 

それは、褒めることは無責任でいい。けど、しかることには大いなる責任が伴うから。

そして、その覚悟を持てるかどうかが重要になるからと、言っていたそうです。

 

褒めることは無責任でいい。特になんの責任も伴わない。

だから、基本は褒める指導でいい。

 

だけど、時には叱らないとならない。

だけど、「叱る」ということには責任が伴う。

 

ここからは、僕の考えもまじりますが・・・

叱るという行為は、選手の自信喪失に繋がる。

その叱責が原因で、選手は実力を出しきれなくなる可能性がある。

だから、叱るときはきちんと理由を添えて、なんのために、その叱責をするのか?

どのような意味があるのか?選手に伝える責任が伴う。

 

小出監督は、そのような考えを持っていたんじゃないかと思います。

 

先程、先走って書いてしまったものの、このような考えを持てている人が今、どれだけいるのでしょうか?

 

褒めるっていうのは、誰もが喜ぶ行為です。

褒められた人だって、どんな人も「悪い気」はしないはずです。

 

ところが、叱るという行為には大いなる責任が伴う。

 

考えてみれば、僕も社会人時代は、叱られてばかりでした。

できが悪く、要領も悪く、覚えも悪い人間だったので、

仕方なかったのかもしれませんが、少なくとも、僕が知る限りでは、

 

「叱ることの責任」をきちんと覚悟して、叱ってくれる上司はいなかったように思えます。

 

少なくとも、僕が勝手に振り返る限りですが、

「責任は丸投げして部下を叱責する上司」ばかりでした。

 

繰り返しになりますが、まぁ、僕が要領悪く、口下手だったこともあり、何も言い返さず、叱りやすかったっていうのもあると思いますが・・・

 

良くも悪くも、正解か不正解かはともかく。

「叱ることの責任」を覚悟して叱る上司はいなかったように思えます。

 

あなたの周りの上司はどうですか?

 

叱ることの責任を自覚して、叱責する上司はどれくらいいますか?

 

たぶん、実際にはそんな人、少ないんでしょうね。

 

少なくとも、自分はそうなりたくない、そう思います。

 

人に何かを叱るとき、叱責するときは、そこに責任が伴う。

それを覚悟して、きちんと、叱ることに意味を見出す。

そして、その意味を伝わる・・・否。

「伝わる」ようにする。

 

それがとても大事だと思います。

 

少なくとも、自分が上司に、あるいは、叱責、指導する立場になったら、そういう点に気をつけていかないとならない。

 

そう思います。

 

それは、仕事の上司部下の関係だけではなくて、子供への教育という点でも同じことが言えるのかもしれません。

 

まとめ

意外と、長くなってしまいましたが、小出監督の教え。

僕がラジオで流し聴きした内容の書き起こしなので、細かい部分は異なるかもしれません。

ご了承下さい。

 

だけど、

 

  • 伝えるのではなくて伝わる努力をする
  • 叱るときはその責任を覚悟して意味や効果を伝える

 

このことって、陸上にかぎらず、すべての仕事や人生、教育において、同じように重要なことだと思います。

 

このブログは、すみません。

 

誰かに「伝わる」ことは目的としていませんが・・・

 

少なくとも、誰かに向けて本気で記事を書いていくのであれば、文章を書き綴っていくのであれば、「伝わること」を意識して書いていきたいですね。

 

また、人がなにかミスをして、叱責するときは、そこに責任が伴うことを自覚して、覚悟して、相手のためを思って接していきたいものですね。

 

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