こんばんは!
いつも応援していただき、ありがとうございます。
apa(あぱ)です(^^)
今日は『不自由の中の効率』について書いていきます。
ダラける自分の心を止められない
うーん、いったいどうしたら、もっと集中して、やるべきことに取り組めるようになるんだろう・・・
全然わからないな。
どうしたの?a男。
何に悩んでいるの?
あ、うん・・・
そうなんだよ。
ここ最近、集中できずについだらけてしまう自分がいて、情けなく感じていたんだ。
いったいどうしたら、なまけずに集中して作業に取り組めるのかな?
と、考えていたんだ。
ふん。何度も言わせるんじゃないよ。
アンタにゃ無理よ。
才能がないんだもの。
諦めるしかないでしょう。
なんだとう?!
集中できるかできないかの話をしているんだ。
才能は関係ないだろう?
残念ながら、アンタはなにをやってもうまくいうかない星のもとで生まれてしまっているから、残念!
なんだよそれ・・・
でもわたしもわかる気がするのよね・・・
集中しないとならないと思えば思うほど、関係ないことをやってダラダラ過ごしてしまうことがあるのよね。
どうしたらもっと自分を律することができるんだろう・・・
ふむ。
まずは、自分を強く律するために、あえて不便、不自由を作ることが大事だろうな。
あ!
八王子ケンジさん!
私はアンタが出てくると不自由を感じるよ。
なにかに集中しないとならない。
と、思っていても、ついだらけてしまったり、やるべきことから目を背けたりしてしまいます。
そういう状態から、自分を強く律して集中状態を作り上げる。
集中してなにかに本気で取り組むというのは決して容易なことではないように思えます。
「いけない」とわかっていても、つい誘惑に流されてしまう自分。
関係ない物事に流されてしまう自分というのは多かれ少なかれあると思います。
軽い気持ちで、You Tubeを見たら、そのままズルズル行ってしまったり。
軽い気持ちで、関係ない物事を見たら、ついそのままズルズル見てしまったり。
そういう事はあると思います。
ここ最近、まぁ、パソコンを買い替えたからというのもあるかもしれませんが・・・
新しい環境で少し作業をするようになって改めて。
いかに不自由の中にこそ効率が生まれるか?
ということがわかるようになってきました。
不自由の中の効率
どういうことですか?不自由の中の効率?
うむ。
自由、環境が整っていることは大切かもしれないが、それが逆に、簡単に誘惑に流される要因を作ってしまっている可能性がある。
あえて、環境を制限することで余計なことをせずに集中できるという可能性は大いにあるだろうな。
自由・快適が逆に非効率を生んでいる可能性
ここ最近、あらためてその可能性を感じるようになりました。
自由・快適だからこそ、自由なことをしてしまう。
好きなことをしてしまう。
ここ最近書いている、ノートパソコンやらパソコンやらの話で申し訳ないんですけど、あらためてそのことから、そう感じるようになりました。
ノートパソコンの可能性
昨日のブログ記事
【日曜フリーテーマ】快適なノートパソコンとスタンド、フリーノなどの話
でも書いたように、ここ最近、新しいノートパソコンを買い、そのノートパソコンが性能がいいことから、デスクトップのモニターの前にノートパソコンを設置して、作業するという、なんだか本末転倒のようなことをやっています。
だけど、これはこれで効果があるように感じています。
当たり前のことですが、ノートパソコンの画面は狭いです。
そのため、画面の行き来が狭い範囲で行えるので効率的です。
モニターがでかいと、その分マウスの移動や視野の範囲が広くなってしまって作業効率が低下します。
何よりも、人間は「余ったスペースを活用したくなる心理」が働きます。
そのため、大画面で作業すると余ったスペースで関係ないことをしたくなりますが(You Tube動画を流したり)、それが、ノートパソコンの狭い画面だと一切その気が起きません。
サブディスプレイの話し
またサブディスプレイについても同様。
作業の効率化のために、もともと僕はサブディスプレイを2つ使っていました。
つまり、メインディスプレイの他に、サブディスプレイが2つ、合計3つの画面で作業していたんですけど、
そうするとだめですね。
画面が余計にある分、その別の画面で別のことをしたくなります。
やはりこれも、「余ったスペースを活用したくなる心理」の一つなのかもしれません。
小さい・狭い不便だと余計なことをせずに集中できる
ノートパソコンで作業することはとても不便です。
画面が小さく見づらいです。
ましてやぼくは、あまり深く考えずに、13.3インチのかなり小さい、モバイルノートサイズのノートパソコンを買ってしまったものだから、小さくて見づらいです。
でも、それが本当に良かったかなと思います。
小さい画面、狭い画面だからこそ、不便なので他の余計なことをしたいという気持ちが起きません。
もちろん、一瞬、関係ない調べ物をしたとしても画面が小さく見づらいので、長続きしません。
途中でやめてしまいます。
そんなふうに、
不自由・非効率が効率を生む場合もある
んだと最近思いました。
世の中、便利にするためのツールやアイテムがたくさんあります。
もちろん、商売のためなんですけど、そういうのを買えば買うほど、使えば使うほど便利になる一方で、何かもっと大切な「集中力」や「自制力」みたいのを奪われているのかもしれません。
家の中にあえて制限や不自由を設ける
そうして、今回の僕のノートパソコンの例ではないんですけど、家の中にあえて制限や不自由を設けることで、作業に集中できるという節はあるのかもしれません。
僕のケースで言えば、デスクトップパソコンではなくて、あえてノートパソコンで作業する、サブディスプレイをやめてみるというのもそうですし、
なにかつい誘惑にかられてしまうものがあれば。
例えば、ゲーム、漫画などがあるのであれば、
それを作業環境とは遠いところにおいてみたり、何かをするためには(娯楽的な)、パスワードによる解除を設けてみたり・・・など。
なにか、誘惑に駆られることをしてしまいそうなときにあえて制限を設けることはとても大切だと感じました。
制限が、不自由が自由を生む可能性。やるべきことを集約させる
そんなふうに、不自由が自由を生む可能性があります。
やるべきことを集約させることができると言い換えられるかもしれません。
そんなふうに、制限をうまく活用するというのはとても大事なことだと感じます。
まとめ
そういうことなんですね。
自由・快適さが逆に誘惑への要因を作っているかもしれません
あえて不便、不自由な環境を設ける
やるべきことを集約させる
これらが大切なんですね。
世の中便利になっていく一方で、それが原因で様々な誘惑にかられてしまう可能性が増えている。
あえて集中できる環境に集約することはとても大切と言えるだろう。
わかりました。
私もやるべきことを集約できるように環境を整えていきます。
ありがとうございます。
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